

曽我 逸郎 @長野県 中川村
長野県中川村長。移住して間もなく、市町村合併せずに自立の村づくりに頑張ろうという運動の手伝いをしたことから、村長に。
国旗に一礼しない村長としても話題になる。「脱原発をめざす首長会議」、「憲法九条を守る首長の会」メンバー。沖縄、辺野古・高江の米軍基地問題にも関心あり。
しかし、こういった社会的な事柄以上に、釈尊の教えについて考え続けてきた。特に近年は、社会・世界を覆う苦を減らすことに釈尊の教えを役立てられないか、と夢想している。
そんな目論みでこのサイトを立ち上げた。以下、少し長いが、お目通し願えれば嬉しい。
~ 世界の苦を救う釈尊の気づき ~
無我:あなたは存在しない
◆ はじめに
見まわせば、世界は苦で満ちています。
繰り返される自爆テロ。テロ組織壊滅を目指す攻撃でたくさんの女性や子どもが巻き添えになり、ふるさとは根底から破壊される。人種・宗教などに対する憎悪・差別・排斥。人々を押し込める壁。低賃金労働による搾取・格差の拡大。日本国内でも、ワーキング・プアと呼ばれる多くの人たちが、将来の展望を持てない暮らしを強いられています。フクシマでは、多くの人々が、東京電力による原発事故のために、放射能への不安を抱えながら家族の気持ちさえばらばらにされ、ふるさとでの暮らしを破壊されました。沖縄の人たちは、日本政府の勝手な都合で、米軍基地被害を押しつけられています。それらの実態を知るにつけ、心が痛まずにはいられません。
世界レベル、国レベルの問題でなくとも、また政治や経済に関することでなくても、わたしたちは、職場で、地域で、家庭で、また満員電車の中で、いらいらを募らせています。インターネットには、立場の弱い者人たちへの意地悪な書き込みがあふれています。人を口汚く責め立てる人は、本当はその人自身が一番弱く、苦しんでいて、誰かをスケープゴートに仕立てて攻撃しないと自分のバランスが保てないのかもしれません。
しかし、考えてみれば、これらはみんな本来苦しむ必要のない、無用な苦ではないでしょうか。なぜなら、いま挙げたたくさんの苦は、どれも人がつくりだしているからです。人が苦を生み出し、自分と他の人とを苦しめ、互いに苦しめ合っています。であるなら、わたしたちが自分たちのあり方を変えることによって、ひょっとすると苦をつくることを止められるのかも知れません。完全に止めることは無理でも、苦の生産を減らすことくらいはなんとかできないものでしょうか。
わたしが考えているのは、二千五百年前のインドの天才、釈尊の教えです。釈尊は、全生涯をかけて、苦をなくす方法を懇切丁寧に、工夫を凝らして教えてくれました。
確かに、釈尊の時代にも釈尊の身近なところで戦争はあり、釈尊が生まれ育った部族も攻め滅ぼされています。その後の仏教圏の歴史においても、人々は戦争を繰り返し、立場の弱い人たちを抑圧してきました。残念ながら釈尊の教えも苦をなくすことはできなかった、と言わざるを得ません。
しかし、釈尊が発見したことは、釈尊自身が教え伝えることは不可能だと諦めかけたほど、普通のものの見方からは遠く隔たっています。宗教としての仏教はずいぶん広まりましたが、本当の釈尊の教えは、釈尊が心配したとおり、ほとんど理解されることはなかったのです。
釈尊の教えの核心は、端的に言えば「無我」、つまり「私は存在しない」ということです。
このことが一般論としてではなく、自分のこととして実感として分かれば、自分に執着すること(我執)が、愚かで無駄な努力であることが痛感され、執着の反応は止まり、苦をつくることはなくなる。これを自分のこととしてどしんと腑に落ちて納得し、実現できた人は、「仏」と呼ばれます。
「なにを馬鹿なことを言っている!? わたしはここにいるぞ! わたしがいなければ、誰がこの本を読んでいるんだ!?」
そうお考えになったことでしょう。そのとおり、確かに釈尊の教えは、一見、荒唐無稽の常識外れです。自然なものの見方とはなかなか相容れません。自然なものの見方の間違いを根本から訂正するものだからです。それゆえ、釈尊自身が危惧して説法を躊躇したとおり、正しく理解する人はほとんどいませんでした。「仏教」と呼ばれる宗教は広がりましたが、その大半は釈尊の教えとは違うものです。
ですから、釈尊以降も世界の苦が減らなかったのは、釈尊の教えが無力だったからではなく、釈尊の教えが正しく伝わらなかったせいだと考えることができます。
釈尊から二千五百年が過ぎました。科学技術は発達し、核兵器をはじめとして、わたしたちの生み出す苦は甚大なものになっています。その一方で知識もずいぶん増えました。釈尊は自分自身を徹底的に突き詰めて探究しましたが、科学にも人間を研究する分野があります。それらを参照しつつ、もう一度釈尊の教えに向き合ってみれば、我々は、かつてよりは釈尊の教えを理解しやすくなっている一面もあるのではないかと思います。釈尊の教えの可能性を再度検討してみて、今の世界を少しでもよくすることに活かせないでしょうか。
ただし、この小論が目指すところは、読者を仏にすることではありません。
釈尊の教え、「私は存在しない」ということを考えていくことで、わたしたちが自分を解釈する仕方を多少なりと改め、社会が共有するパラダイム、つまり物事を考える時の枠組みをずらして、世の中の価値観を今より苦を生まないものに変えられないか。それがわたしの目論見です。
今、世界を動かしているパラダイムは、このようなものではないでしょうか。
「世界は、決まった法則に則って変化している。その法則を知ってうまく利用すれば、自然を自分に都合よく便利に得に操ることができる。」
しかし、この「自分に都合よく便利に得に」という人間の側の動機が執着であることには、ほとんど注意が向けられていません。ましてをや、執着が苦をうむ反応であることも忘れられています。その結果、科学技術の発達にともない、「都合のよさ、便利さ、得さ」が増大したのと同様に、生み出される苦も甚大なものになっています。ハイテク兵器やグローバル経済における富の独占がもたらした状況を見れば、それは明らかです。
この状況を多少なりとも「まし」なものにするために、我々の自己評価を、「合理的にしっかりと考えてものごとを計画し、実行する賢い存在」としてではなく、「執着という根本動機に突き動かされて苦を作り続ける危うい凡夫」として捉え直すようにパラダイムを修正できないか。それが、この小論の狙いです。
もとより中途半端な試論で、釈尊さえ躊躇したことができるはずもありません。しかし、この苦にまみれた世界にさらに新たな苦を加えることをなんとか減らしたいと考えている多くの人たちに混ざって、わずかな努力でも試みてみたいと思います。
共に考えて頂き、この努力を共有して頂ければ幸甚です。
◆ 序論 釈尊について
初めに、釈尊について簡単に触れておきます。
釈尊は、わたしたちと同じ人間です。神と呼ばれるような超越的存在ではありません。
そもそも「宗教を興そう、教祖になろう」としたわけでもありません。自分自身の苦悩をなんとか解決しようともがき、それを成し遂げてみれば、すべての人にあてはまる革命的な発見だったので、人々を苦から救うために懸命にそれを教え伝えようとした。それが釈尊の生涯です。
ですから、もし宗教が「超越者に帰依すること」であるならば、釈尊の教えは宗教ではありません。また、宗教がなにか不合理で非論理的なことを信じることだとすれば、釈尊の教えは、やはり宗教ではありません。釈尊の教えは、自然なものの見方から大いに隔たり、常識的には理解しがたいけれど、きわめて合理的、論理的です。以下を読み進んで頂ければ、そのことは納得して頂けるでしょう。
インド北部、ガンジス川とヒマラヤ山脈の間、現在のインドとネパールの国境付近に、釈迦族と呼ばれる人たちが暮らしていました。その部族のリーダーの一人を父として、釈尊は、紀元前五百年前後、今から二千五百年ほど前に生まれました。
よく「お釈迦様」という呼び方をしますが、釈迦は部族の名前であって、個人や家族の名前ではありません。釈尊の姓はゴータマで、経典でも「ゴータマよ」と呼びかけられている記述がありますが、この試論では、釈迦族の尊者、という意味で「釈尊」と呼ぶことにします。(釈尊の生涯については、基本的には『中村元選集第11巻 ゴータマ・ブッダⅠ』春秋社を参考にしています。)
夏用と冬用に別の館があったという伝承もあり、豊かな生い立ちでしたが、生みの母は釈尊を出産してすぐに亡くなっています。
生まれたばかりの釈尊を仙人が見て、
「この子は、世界の偉大な王になるか、あるいは出家すれば世界を救う偉大な覚者になる」
と預言します。我が子の出家を恐れた父は、息子に悩みを抱かせないように、不幸を遠ざけ、楽しく充実した毎日を送らせます。釈尊は、聡明で健康な若者に成長し、結婚し、子どもも生まれます。
しかし、父親の心配りも虚しく、釈尊は深く思い悩むようになり、ついに出家に至ります。
そのエピソードとしていくつかの物語が伝えられています。
ひとつは、有名な「四門出遊」です。父の配慮によって不幸から注意深く遠ざけて育てられた若き釈尊は、ある日、街の門から出かけ、老いさらばえた人に会い、次の門の外に病人に出会い、別の門の外では死人を見て、老病死の苦を初めて知り、憂え、四つ目の門を出て、出家修行者に出会い、その清い姿にあこがれ、出家を考えるようになった、という物語です。
四門出遊はできすぎた話のようにも感じますが、もう一つは、わたしには、とても説得力があり、共感できる物語です。
宴の後、夜更けにひとり目を覚ました若き釈尊は、踊り子や歌い手などの着飾った娘たちが、よだれを垂らし着物もはだけただらしない姿で月の光を浴びて眠りこけている姿を目にして、まるでたくさんの死体のようだと思い、離れて建つ父の館も墓のように見え、今の暮らしを厭う気持ちが高まった、というものです。
わたしは、ポスト全共闘世代で、学生時代は、今のような貧困問題もなく、生きることにはそれほど不安を感じないものの、なにごとにも価値を認めることができずにいました。社会全体が無意味さから目を背けるためにただ時間つぶしに明け暮れているとしか思えませんでした。どう生きればいいのか、なにをすればいいのか、いらいら鬱々としつつ、自分自身も世の中の人々も軽蔑して日々を過ごしていました。
振り返ってみれば、当時のわたしは、自分を価値ある存在である筈だ、と考え、自分にふさわしい価値を与えてくれる、価値ある仕事を探し求めていたのだと思います。まさに我執の塊でありました。
その頃のわたしの気分とこの物語の釈尊の気持ちとは、どこかでなにか繋がるものがあるような気がします。
釈尊の生まれ育ちは、イエス・キリストとは対照的です。イエスは、父親のいない貧しい家に育ち、独身のまま若くして十字架にかけられました。一方の釈尊は、豊かな家庭に生まれ、早々に生母を失ったものの、不自由なく育てられ、妻子も持ちながら、その生活に虚しさを感じていたのです。
父親の期待や部族、家族への責任を背負いつつ、内面の思いとの間にずいぶんな葛藤があったことでしょう。そして、ついに二十九歳の時、釈尊は、父親の期待を裏切り、妻子を棄て、家を出ます。
初めに、都会へ向かい、二人の瞑想の達人を訪ねます。どちらの師についても、早々に同じレベルに到達し、ここにはこれ以上学ぶべきものはないと知って、森に入り苦行の生活を始めます。
絶食、不眠など、ありとあらゆる苦行を行いました。痩せて骨と皮ばかりになった釈尊が座禅する像をなにかで見た方も多いでしょう。動物の排泄物を食べる、息を止めたまま瞑想する、といった苦行も経典には書かれています。
激しい苦行を六年間続けましたが、ある日、苦行は無意味である、と知って、放擲し、娘スジャータの供する乳粥を食べ、快適な場所で瞑想し、ついに縁起の法を見いだし、長年の苦悩は解消されます。
縁起とは、どういうことかというと、刺激(縁)を受けると、そのたびに身体という場所において、いくつもの反応が次々とドミノ倒しのように連鎖して、最後に「私が・・・」と意識する反応が起こる、という発見です。
これは、別の言い方をすれば、「わたしとは、そのつどそのつど縁によって起こされる、一貫性のないそのつどの反応の断続であって、はじめから一貫して存在している実在ではない」ということです。つまり、無常、無我と同じことを言っています。一貫性のないそのつどの断続的な(無常な)反応を十把一絡げにまとめて、後付けで「私」というラベルが貼られるのです。
この「わたしとは無常であり無我であり縁起の反応である」という発見は、釈尊の教えの核心でもありますし、認知科学や脳科学の知見とも重なるところが多く、そういった方面にも触れながら、後で詳しく論じます。
さきほどの縁起の説明に対して、仏教に詳しい読者は、こう思ったかもしれません。「釈尊が覚ったのは十二支縁起であり、その最後のふたつは、生、老死である。曽我の説明は違う」と。十二支縁起についても、また後ほど検討するので、しばらくお待ち下さい。
経典には、「苦行は無意味だと知って」と書かれています。しかし、苦行がまったく無意味だったかというと、実は、わたしにはそうとは思えないのです。六年間の長い苦行を放棄したすぐ後に覚りを得たのですから、なんらかの貢献はあったはずです。おそらく、「苦行は無意味である」という気づきそのものの中に、縁起の発見に至る閃きが宿っていたと思います。
一般に、苦行とはどういう考え方に基づくのでしょうか。
〈わたしの霊魂、あるいは「本当の私」は、本来清浄で自由で限界のない存在であるのだが、肉体がそれを閉じ込め汚し、自由な働きを阻害している。なんとかして肉体の束縛を弱めて、「本当の私」を肉体から解放しよう。〉
こういう考えが、苦行の背景にはあると思います。
肉体の中に閉じ込められた「真の我」を解放しようというのは、インドの伝統であるバラモン教思想の考え方でもあり、釈尊の時代にも広く共有される主流でした。バラモン教では、「真我」はアートマンと呼ばれました。「アートマンをしがらみから解放し、ブラフマン(梵、すべてを超越する宇宙原理)とひとつにする(本来ひとつであることを知る)ことが真の救済である。」これがインド主流の梵我一如思想です。
苦行を始めた釈尊も、当時のそのような常識を当初は共有していたことでしょう。しかし、激しい修行を続けながら冷静に自分を観察する釈尊に、まったく新しい閃きが準備されていきます。
凡庸な修行者なら、苦行によって訪れた変性意識体験を「宇宙の真理、ブラフマンの光を見た」などと勝手な意味づけをし、興奮してさまざまに言い立てることでしょう。しかし、釈尊は、ひたすら冷静でした。
不眠や絶食といった苦行やその他の外部条件によって、自分が時には激しく時には微妙に影響を受ける様を徹底して詳細に観察したのです。その結果、「本当の私、本来の自分(アートマン)がはじめからずっと存在していないのではないか(無我)。わたしとは、その時その時の条件、刺激によって引き起こされる、その時その時の反応なのではないか(縁起)」という、空前絶後の閃きを得ます。
苦行(肉体を弱らせて、「本来の自分」を解放する試み)など無益ではないか、と気づいた時には、まだこの閃きは明確に言語化されてはいなかったと思います。しかし、なにかを掴んだという感触はあった。そして、苦行を放棄し、体制を立て直して座禅を組み、じっくりと時間をかけてさまざまに検討し分析して、閃きを深く掘り下げていった。そして、その結果、一貫する「我」があらかじめ存在するのではないこと(無我)が間違いのない事実として確認され、遂に成道は達成されました。
無我は、サンスクリット語では、アナートマン(パーリ語:アナッタン)であり、アートマン(同:アッタン)に否定の接頭辞をつけた言葉です。つまり、釈尊は、梵我一如思想が前提とする「真我」の存在を否定したのです。
バラモン教が想定する「真我」、アートマンは、〈唯一無二であり、一貫して存在し続け、私のすべてをしっかりと取りはからう何者か〉という位置づけでした。釈尊は、そのような「真我」などもともと存在しない、と気づいて、みんなが捕らわれていた思い込みから逃れ出たのです。
アートマンほど観念的でなくても、わたしたちも、「私はいる、存在する」と考えています。それが自然な考え方であるし、また現実のいろいろな問題に対して、そういう前提に基づいて対処した方が、素早く、そして大抵は目先の損をしない有利な反応をすることができます。
しかし、そのように「私がいる」と考えるのは思い込みであり、またその思い込みが、わたしたちに執着を起こさせ、苦をつくらせています。それゆえ、釈尊の無我の教えは、梵我一如をもはや信じていない現代のわたしたちをも、苦をつくることから救ってくれます。
覚りを得た釈尊は、達成感を喜びながらも、「わたしが見つけたこの真理は、世間の常識からあまりにも遠い。理解できる人は誰もいないだろう」と思い、「このままなにもせずに死んでしまおう」と一旦は考えます。しかし、「わずかであれ理解する人もいるかもしれない」と思い直し、説法を開始します。
以後、八十歳で亡くなるまで、ガンジス川流域の広い範囲で一貫して熱心に教えを説き続けます。その内容は、真理を単に体系的に伝えるというものではなく、自然なものの見方とは相容れない真実を、凡夫(自然なものの見方にどっぷりと染まった普通の人)にもなんとか分かるように教え導こうという、慈悲の工夫にあふれた、段階を追った実践カリキュラムでした。
◆ 本論
さあ、いよいよ釈尊の教えについて考えていきましょう。
◎ 四諦
四諦(したい)は、釈尊の教えの全体設計を簡潔に説明してくれます。苦・集・滅・道の四つのキイ・ワードで示されます。
苦:世は苦であること。
集:その原因(集)は、人間の執着であり、執着が苦をうみだしていること。
滅:その原因をなくせば、苦も滅すること。
道:執着をなくすためには、順序立てた修行カリキュラム(道)があること。
原因・条件によって苦はうみだされ、原因・条件がなくなれば、苦の生産も止まる、という論理ですから、これも一種の縁起の考え方です。
では、ひとつずつ考えていきましょう。
1 苦
古来、仏教には、仏教と仏教でないものを見分ける仏教の教えの四つの印、四法印といわれるものがあります。そのひとつが、「一切皆苦」です。
しかし、読者は多分こう感じたのではないでしょうか。
「なにもかも一切が苦しみだと言われたって、人生には、好きな人とおいしいものを食べたり、海に遊びに行ったり、音楽を聴きに出かけたり、楽しいこともたくさんあるじゃないか」
そう思った方が大半でしょう。しかし、仏教では、それらは「執着の楽しみ」と言われます。
釈尊が成道を遂げた直後、説法を躊躇したときの気持ちが、サンユッタ・ニカーヤにこのように書かれています。
わたしのさとったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところがこの世の人々は執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている。さて執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている人々には、〈これを条件としてかれがあるということ〉すなわち縁起という道理は見がたい。またすべての形成作用のしずまること、すべての執著を捨て去ること、妄執の消滅、貪欲を離れること、止滅、やすらぎ(ニルヴァーナ)というこの道理もまた見がたい。だからわたしが理法(教え)を説いたとしても、もしも他の人々がわたしのいうことを理解してくれなければ、わたしには疲労が残るだけだ。私には憂慮があるだけだ。(『ブッダ 悪魔との対話』中村元訳 岩波文庫)
お得意様や上司の話に無理して調子を合わせ、残業して溜めたストレスをバカンスで発散する。徹夜して練り上げた企画でライバルに打ち勝ち、大きなプロジェクトを獲得して祝杯をあげる。いろいろな喜びがあるでしょう。しかし、おそらくそれらは皆、なんらかの苦と表裏一体の喜びです。自分の苦か人の苦か、どちらかの苦か、あるいは大抵は両方の苦が、裏側にへばりついています。得をしよう、幸せになろうと画策して、うまくいかなかった結果は苦です。うまくいってもひとときの執着の喜びをもたらすだけで、手に入れた幸福はすぐに退屈に変ります。目先の喜びは、やがてより大きな苦につながります。
もうひとつ、サンユッタ・ニカーヤから引用しておきましょう。
そのとき悪魔・悪しき者は尊師に近づいた。近づいてから、尊師のもとで、この詩句をとなえた。
「子あるものは子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。
人間の喜びは、執著するよりどころによって起こる。
執着するよりどころのない人は、実に、よろこぶことがない。
[尊師いわく、――]
「子あるものは子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。
人間の憂いは、執著するよりどころによって起こる。
実に、執着するよりどころのない人は、憂うることがない。」(同上)
薬物やギャンブルなどへの依存症というのがあります。喜びが得られそうで得られないフラストレーションの状態が続き、それが適当な間隔をあけて、まれな喜び、達成感で解消され、それが繰り返されると依存症になってしまうのだそうです。そう考えると、たいていの喜びは、依存症の喜びであり、つまり、わたしたちはみんな、執着依存症なのかもしれません。
宗教や民族の違いを理由にする対立が、世界各地にあります。その中には、激しいテロの応酬に陥っている地域もあります。繰り返されるテロの報道を聞くと、こういう言いかたは不謹慎かも知れませんが、報復依存症という言葉が思い浮かんでしまいます。相手方からひどい仕打ちを受けて、憤慨し報復を計画し、うまくいかなければ悔しさをつのらせ、次こそは、と決意し、うまくいけば快哉を叫んで達成感を喜び、またすぐ相手から報復され、復讐心を燃え立たせる。これもまた、長く続く不満状態の中にまれな達成の喜びがランダムに訪れるパターンです。
遠くから見ると、「なんと愚かな、、。どうして止められないのか」と思いますが、テロの応酬のさなかに身を置く人たちには、広い視野で客観的に自分たちを見ることができず、自分たちの苦をなかなか認識できません。
阿片窟で陶然と阿片を燻らせる人は、自分では幸福の絶頂を味わっているのでしょうが、扉の外から観察する人の目には、苦にまみれた哀れな姿としか見えません。仏の立場からすれば、ときどきの執着の喜びに浮かれそれを追い求める凡夫も同じように見えているのではないでしょうか。
執着の対象はいろいろです。まわりからの評価、地位だったり、お金だったり、グルメだったり、、、。しかし、おいしい料理も、満腹以上に食べても気持ち悪くなるだけですし、バカンスもずっと続けば飽きてきます。多分、出世も、それ以上の上がなく、まったく誰にも気をつかわないでいい身分があるとすれば、すぐに飽きることでしょう。お金だけは、いくらたくさん蓄えても飽きる人は少ないようですが、それはいくら蓄えても満足できない、ということです。執着の喜びは、ほんとうの喜びではなく、一時の気散じに過ぎず、裏側に苦が張り付いています。
とは言え、この小論の目的は、読者を出家修行者にすることではありません。家族でごちそうを食べたり、子供の成長に目を細めたり、いい仕事に誇りを持つといったことまで否定はしません。
一番問題にしたいのは、戦争や搾取や差別といった、世界を覆う苦の構造です。
執着の欲に駆られて富を独占しようとする人たちと、その下についておこぼれに預かり、保身だけでなにも考えない凡庸なアイヒマン的人間たちとがいます。彼らは、幾重にも積み重なり複雑に組み合わさって、大規模に苦を量産する巨大工場を形成し、それを動かしています。他の人たちを犠牲にすることを「仕方がないさ」と容認し、夥しい苦をつくり、世界にまき散らしている。この現状をなんとか少しでも改善したい。富を独占する者たちと持たざる者たちとの格差が拡大するほど、差別や見下し、妬みや義憤は拡大し、苦は世界に充満していきます。
「自分が存在しないのに、なにもかも自分のものにしようと掻き集めることは、愚かなことだ。人を犠牲にしてまで欲に走るのは、恥ずかしいことだ。」そういう考えが、あたりまえの規範、常識としてわずかずつでも広がっていくようにできないものか。
今の世界で、差別心をまだ根絶はできていなくても、差別する言動が非難されるのと同じように、自分の執着や保身のために人を犠牲にしたり、見て見ぬふりをすることが、厳しく指弾されるような世の中にならないかと思います。
社会の大きな問題だけではありません。地域や会社や家族や、さらには満員電車の中のような身近な場所であれ、自分が執着の反応であり、他の人たちも自分と同じように不完全な執着の反応であると納得することは、赦しあいをもたらし、ぎすぎすした人間関係に柔らかいクッションを差し挟んでくれるはずです。
2 集
集は、苦を生み出す原因です。それは、前段で書いたとおり、わたしたちの執着です。
最初期の経典のひとつと言われるスッタニパータにはそのことが端的に説かれています。
「世の中にある種々様々な苦しみは、執著を縁として生起する。」(『ブッダのことば』中村元訳 岩波文庫)
しばしば、わたしたちは、「苦しみが降りかかってくることのないように」と祈ります。苦が、天から偶然に落ちてくるかのように思っています。
しかし、苦のほとんどは、どこか遠くから飛んでくるのではなく、わたしたちが自分たちの執着によって生み出しているものです。
苦には、二種類があります。確かに、空から降ってくるような避けがたい苦もあります。釈尊でさえ、亡くなる直前には、高齢による体の痛みや供された食事による食中毒で苦しんだ、と経典(大パリニッバーナ経・大般涅槃経)には書かれています。このような苦は、第一の矢、と呼ばれます。それに対して、我々凡夫(普通の人)が執着によってつくりだしてしまう苦が、第二の矢です。ですから、仏は二の矢を受けず、と言われます。第一の矢を受けても、それを原因にして怒りや恨みや妬みなどの反応を起こさず、苦を増やさないのです。
一方、わたしたち凡夫は、第一の矢を受けない場合でさえ、すぐにしょっちゅう苦を作ってしまいます。執着に基づく欲望によって、また怒りによって、、、。まれに思いが叶ってもすぐに退屈して欲求不満に陥り、新たな欲望を見つけ出し、思い通りにならないと怒り、悲しみます。満足することができず、自分が苦しむだけでなく、それを誰かのせいにして、怒り、恨み、自分よりもうまくいっているように見える人を嫉み、苦を投げつけます。得をしようとして、策略を巡らし、他人から奪おうとします。その計画によって、誰かが苦しむことになってもさして気にかけません。こうして、執着は自分も周囲の人も苦しめます。わたしたちは、執着によって、自分を苦しめ、人を苦しめ、互いに苦しめ合っているのです。
わたしたちは、いろいろなものに執着します。なかでも特別なものは、自分自身への執着です。我執と呼ばれるもので、これこそが執着の根です。
〈大切な「私」が存在するんだ。それを守り育てなければならない。〉これが我執です。
大切な「私」に利益をもたらすであろうものは手に入れなければならないし、大切な「私」に害をなしそうなものは絶対に許せない。こうして、我執は、さまざまな事物にむけた、ポジティブの、またネガティブの執着としても現われます。こうして争いが生じ、苦が生じます。
奇妙に聞こえるかも知れませんが、わたしたち凡夫は、自分が苦しんでいることに気がつくことがなかなかできません。執着の喜びを追い求めることに忙しいせいかも知れませんし、苦が、怒りや妬みなどの感情に姿を変えている場合もあります。ところが、重大な経験をして、あるいはふとしたきっかけで、自分が苦しみ、人を苦しめていたことが痛感されます。そういう深い反省が、発心です。今の自分のあり方をなんとか変えたいとする思いです。今の自分のあり方を、苦をつくり、人を苦しめ、自分も苦しめる凡夫であると自覚して反省する。凡夫の自覚は、本格的に釈尊の教えに学ぼうとするスタートになります。
【脱線① 仏教の梵我一如化】
執着に意味がないことを説くのに、よく使われるのは、「形あるものはすべて壊れる」という表現です。つまり、すべては存在ではなく、時間の中で移り変わる現象だ、ということです。「止まれ、お前は美しい」(ゲーテ『ファウスト』)と命じても、現象を美しいままに捕らえておくことはできません。なにかを捕まえてしっかり握りしめていたつもりでも、いつの間にか細かな砂になって指の間からこぼれ落ち、手を開けばなにもない。すべてが、時間の中で変質します。
この考えは間違っていません。しかし、釈尊の教えではないところに転落する結果を生みかねない危うさがあるので、よく気をつけねばなりません。
これは、物理学の法則でもあります。突き詰めれば、相対論や量子論的な世界観、つまり、物は究極的にはエネルギーであり波であり、存在ではなく現象である、ということになります。
一見、釈尊の教えと親和性が高いように思えます。実際、これをもって釈尊の教えを解釈しようとする人は少なくありません。しかし、これには危険があります。この着眼は、釈尊が否定したところの梵我一如的な世界観に、我々を導き入れかねません。この発想は、移り変わり壊れいく個物の世界の奥底についつい梵(バラモン教思想が想定した、世界を生み出し、同時に世界の全体でもある、すべてを超越した根本原理)に等しいなにかを設定してしまいかねないのです。
梵という発想は、人間の自然な性にとっては居心地がいいのです。凡夫の執着に適う、といってもいいでしょう。梵は常に、絶対的に善なるものとして想定されます。あるいは、善悪などの対立概念をすべて超越している、とも形容されますが、ともあれ、絶対的に肯定されるのです。そして、梵とひとつである我(アートマン)も肯定されます。梵我一如ほどには観念的に考えていない我々凡夫であっても、大自然や宇宙とともに肯定されるのは気持ちのよいことです。その結果出てくる思想は、極端な例を挙げれば、煩悩即菩提というような、すべてをずぶずぶに肯定する無節操なものにもなっていきます。なによりも、釈尊の教えを学ぶにあたって最初に確認すべき「凡夫の自覚」、すなわち「わたしは、執着のままついつい自動的に苦をつくってしまうから、いつも気をつけていなければならない」という自覚が希薄になってしまいます。
また、梵我一如型の発想のひとつの特徴は、言葉を軽視し、不合理を振りかざすことです。すべてを包摂する超越的統一原理を妄想すれば、相対立していたはずのものが、なんでも梵において矛盾のまま結びついてしまいます。先ほどの「煩悩即菩提」がいい例です。「論理を超えた論理」であるとか、「無分別知」とか、なにか深い意味がありそうに主張しますが、単に人を煙に巻いているだけです。なにか質問しても、煙幕をさらに深くするだけですから、相手にする必要はありません。このような言説が釈尊の名の元に口にされるのは、容認しがたいことです。何度も繰り返しますが、釈尊の教えは、常識的なものの見方からは遠く隔たっていますが、極めて論理的であり合理的です。
残念ながら、仏教の多くは、梵我一如型の発想に転落してしまっています。法界とか真如といった言葉が、梵の代わりをしています。かく言うわたし自身、かつて般若思想の空を宇宙に遍在するビッグバン的なエネルギーとして解釈した時期がありました。これでは梵を空に呼び変えただけです。
特に、中国では老荘思想が根強い伝統としてあり、当初、仏教は、老荘思想の枠組みで解釈されました(格義仏教)。老荘思想の道(タオ)は、一切の矛盾・対立を包摂する超越的世界原理であり、バラモン教のブラフマン(梵)と非常に似ています。わたしは、個人的には荘子のスケールの大きなとらわれのない突き抜けた発想は大好きなのですが、釈尊の教えとはきちんと区別しなければなりません。格義仏教は、中国と、さらにそこから伝わった先の日本などの仏教に梵我一如化の影響を与えました。
そもそも、釈尊の教えは、なぜ人は苦をつくるのか、苦をつくる凡夫である自分を分析し、苦をつくらなくする方法を教え伝えるのがすべてでした。自分こそが研究の対象であって、外の世界に関する記述は、わたしの読んだ限り、死を目前にした釈尊を描く大パリニッバーナ経などのわずかな例外を除き、初期経典にはほとんど見かけません。自分ではなく外の世界に関心を向けることは、世界の超越的原理への妄想を呼び起こし、梵我一如思想にたやすく転落することになります。外の世界ではなく、自分自身に目を向けなければなりません。
【閑話休題】
形あるものが壊れるだけではありません。形のない執着の対象、すなわち地位や名声、富なども、しばしばあっという間に失われます。そして、裏返しの執着で、自分に不利益をもたらすとおぼしきものを憎んで根絶やしにしたつもりでも、同じような悩みの種が、また沸いて出てきます。すべては永遠の存在ではなく時間の中の現象であり、欲しいものは変質し、憎んで絶やしたはずのものは、また現われてきます。思いどおりにはなりません。
我執の対象である自分も、他の執着の対象と同様に、壊れていきます。釈尊が四門出遊でみた老・病・死です。しかし、釈尊でないわたしたちは、老・病・死でさえ、現実に自分に差し迫ってこない限り、自分のこととして実感することはほとんどありません。お葬式でさえ、人ははしゃいでしまうものです。わたしたち凡夫は、自分が永遠に存在すると思いなし、自分に執着し、この我執を土台に、自分が得をして損をしないようにいろいろなものに執着して、苦をつくっています。自分が苦しみ、人を苦しめ、互いに苦しめ合っています。
3 滅
執着が苦をつくる原因でした。従って、根本の執着である我執がなくなり、そこから派生しているその他の執着もなくなれば、苦をつくることもなくなります。これが、滅です。
『およそ苦しみが生ずるのは、すべて執著に縁って起こるのである』というのが、一つの観察[法]である。『しかしながら諸々の執著が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察[法]である。(『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳 岩波文庫)
「執着をやめろ」「執着するな」という宗教や道徳の教えをしばしば目にします。しかし、執着をやめろ、といわれて、「はい分かりました」とやめられるでしょうか。そんなに簡単にはいきません。執着をなんとかなくそうと歯ぎしりするほど頑張れば、執着しないことに執着している、と言われるようなねじ曲った事態にも陥りかねません。ではどうすればいいのか。
執着に直接立ち向かうのではなく、執着の根っこである我執を掘り崩すために、我執の対象である「自分」を見極めるのです。つまり、無常、無我、縁起を自分のこととして納得するのです。それができた時、自分は執着の対象にはなり得ない、その時その時の反応であることが分かります。
無常、無我、縁起である自分とは、どういうことか。後でしっかりと説明しますが、簡単にイメージをもっておいて頂きましょう。
例えるなら、さざ波に反射する光のようなものです。無数の小さなきらめきが川面に瞬いている。そのひとつひとつが、感覚であったり、感情であったり、行動であったり、思考であったり、さまざまなその時その時の反応です。この身体という場所において、そのように明滅する無数のばらばらな反応の断続が、そのつどの縁を受けて、次々に一瞬きらめいては消えていきます。
それらの反応を一絡げにまとめて、そこに「私」というラベルを貼り、「私」という存在が変ることなく実在するかのように思いなして、それを大事に守り育てようとしている。それが我執です。
皆さんは、水面のきらめきがいかに美しくとも、執着するでしょうか。一体どのように執着できるでしょう。そんなことは不可能です。
それと同様に、この身体で次々と起こる様々な反応の明滅に執着しても意味がありません。自分が、万事をしっかりと取りはからう実在などではなく、縁によってその時その時に起こされてはすぐに終わる、その時その時に明滅する一貫性のないさまざまな反応の寄せ集めであることが見極められれば、これまで必死になって自分に執着してきたことが、なんと愚かだったことか、と馬鹿馬鹿しさが痛感され、自然に我執が鎮まるのです。
我執が弱まり、執着が弱まると、慈悲の働きが広がります。
慈悲の行動は、動物でも観察されているので、仏教によって新しく生まれるものではないと思います。ただ、慈悲心よりも執着心の方が強力で、執着は慈悲に制限をかけるので、執着のゆるす範囲でしか慈悲は働きだしません。分かりやすい例を挙げれば、執着の許す金額しか寄付できないということです。したがって、執着を弱めることができれば、その分だけ、慈悲は活発になります。慈悲は、人の苦を抜こうとすることですから、執着を弱められれば、新たな苦をつくることがまず減り、さらに、活発化した慈悲で、今ある苦を減らす努力もなされることになります。苦を減らす二重の効果が生まれるのです。
さて、ここは釈尊の教えの核心ですので、ぎくしゃくした文章になるのを恐れず、滅をきちんと定義しておきましょう。
滅とは、苦を生む原因になっている執着を停止するために、根本執着である我執の対象、自分が、存在ではなく、いくら執着しても執着不可能な、そのときそのときの縁によって起こされる、一貫性のない反応の断続であることを腹に落ちて納得し、我執の愚かさが痛感され、それによって執着が鎮まり、苦の生産が停止されること、です。
いろいろな説明をしてみましたが、「自分が、存在ではなく、そのときそのときの縁によって起こされる、一貫性のない反応の断続である」というのは、読者の皆さんにはどう聞こえるでしょうか。やっぱり何を言っているのか意味不明なちんぷんかんぷんでしょうか。そうだとしても当然です。釈尊も説法を諦めかけたほどに、日常の自然から遠いものの見方なのですから。でも、是非もう少し我慢して読み続けて下さい。
あるいはまた、読者の中には、「考えてみればまあそうだろう。しかし、それを知ったとしても、執着が消えるとは思えない」と感じた人もおられるでしょう。そのとおり、無常、無我、縁起は、単なる理屈として理解してもほとんど効果はなく、他ならぬ自分のこととして納得することが必要です。
自分のこととして納得するというのは、簡単に聞こえるかも知れませんが、時として非常にむずかしいことです。例えば「人は皆必ず死ぬ」ということは理屈では誰でも分かっています。しかし、タイマーの針がゼロに近づくように、自分が今刻々と死につつあるということは、なかなか実感できません。執着に反することは、簡単には受け入れられないのです。
無常、無我、縁起も、理屈としては理解できたとしても、自分のこととしては簡単には腹に落とすことはできません。しかし、釈尊は、そのためのカリキュラムも用意してくれました。それが四諦の最後にある道です。
4 道
我執を消し、執着の火を消すための方法は、自分の無常、無我、縁起を自分のこととして納得することでした。しかし、これは、自然なものの見方に反することであり、執着に逆らうことです。おいそれとはできません。段階的に準備をしながらそこに導いてくれるプログラムが必要です。それが道です。
三学(戒、定、慧)や八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)が、そのプログラムです。八正道は三学に包摂されますので、三学で説明します。
【脱線② 漢訳仏教用語の危険】
八正道のトップに掲げられる「正見」に関係して、論の流れからはずれたことを少し書きます。「正見」について、〈正しく見ること〉とする安直な解釈をときどき見かけますが、間違っています。
「正見」の「見」の原語は、パーリ語では“diTThi”です。「常見・断見」(死後も個体存在は持続するという見解と絶えるというふたつの対立する見解)、あるいは「邪見」の「見」と同様に「見解」の意味です。ですから、「正見」とは、「正しい見解」を意味します。八正道の先頭に正見があるのは、まず第一に正しい見解に触れて学ぶ必要がある、間違った見解に従ってはならない、という至極当然の教えです。
このように、漢訳の仏教用語だけで考えると危険な場合があります。
中国では、経典を中国語に訳した後は、原典にあたることをほとんどしなかったため、よく言えば中国独特の発展をしました。しかし、これは、釈尊の教えからすれば逸脱ということになります。先に触れた老荘思想によって解釈された挌義仏教の影響もありました。
例えば、大乗仏教の中観(ちゅうがん)思想の空は、サンスクリット語zUnya(シューニャ)の訳語で、本来は「空っぽの」「虚ろな」という形容詞です。「そこにあるだろうと想定されるものがその場所にない」ことを表します。空き瓶とかタクシーの空車の空です。「我々という場所にアートマンはない」というのが、仏教における本来の意味だったでしょう。ところが、もともと形容詞であった空(シューニャ)は、接尾辞tA(ター)がつけられて空性(シューニャター)となり、抽象名詞化されます。漢訳般若心経に頻出する「空」は、「性」はつけられていませんが、元のサンスクリットではシューニャターであり名詞にされた空です。名詞化された「空」は、抽象名詞からしだいに普通名詞のように捉えられ、対象化され、実体視され、ついには「空」という超越的実在が妄想され、バラモン思想のブラフマン、あるいは老荘思想の「道」(タオ)と変らぬ役割を果たすようになります。仏教が梵我一如化した一例です。わたし自身、空を宇宙生成のエネルギーとして考えていた時期があることは、先に告白しました。
また、真如は、tathatA (タタター)で、tathA「~の如くに」という意味の副詞に 同じ接尾辞がつけられて抽象名詞化した言葉で、「そのようであること」といった意味であったものが、普通名詞のように扱われるようになって対象化、実体視され、やはりブラフマンやタオのような存在になっていきます。
漢字に訳された仏教用語は、しばしば一人歩きして意味がずれてしまっているので、なるべく仏教辞典などで元のパーリ語、サンスクリット語のスペルを調べて、本来の意味を確認した方がいいと思います。ネット上には、ほとんどが英語ですが、パーリ語、サンスクリット語の辞書があります。
特に日本人にとっては、漢訳された仏教用語は、漢字によってイメージを触発されて、とんでもない解釈に陥ることが多々あるので、要注意です。
パーリ語は、南伝仏教(スリランカ、ビルマ、タイなどの仏教)上座部が、釈尊が話していた言葉だと主張する昔の言葉で、口語的な日常言語です。上座部に伝わる経典はこれで書かれています。一方のサンスクリットは、宗教や学術、文学の領域で使われた雅語で、大乗仏教はこちらを多用します。
どちらの言語も、城壁のような、長く繋がるデーバナーガリーという文字(梵字)で書かれますが、この本ではHarvard-Kyoto (HK) conventionという便宜的なアルファベット表記法を使いました。ネット上の辞書を調べる際は、これを知っていると便利です。
【閑話休題】
さて、話を戻して、三学、すなわち執着を鎮めて苦の生産をとめるために、無常、無我、縁起を自分のこととして納得するためのカリキュラム、を考えましょう。
一、 戒
三学とは、戒・定・慧の三つであり、その第一は、戒です。
在家の者が守るべき五戒として不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒の五つの戒が有名ですが、出家修行者には、正午を過ぎてからの食事の禁止など、さらにたくさんの戒があります。戒というと具体的な禁止事項の羅列として捉えがちですが、戒の本質は、苦をつくる行いをするな、ということです。
アンバラッティカ・ラーフラ教誡経にこのような一節があります。(『パーリ仏典中部(マッジマ ニカーヤ)中分五十経篇Ⅰ』片山一良訳 大蔵出版)
「ラーフラよ、もしそなたが身による行為をなしたいと思うならば、そなたはその身の行為についてよく観察すべきです。〈わたしがなしたいと思っているこの身による行為は、自己を害することになりはしないか、他者をも害することになりはしないか、両者ともに害するものになりはしないか、この身の行為は不善のもの、苦を生むもの、苦の果のあるものではないか〉と。ラーフラよ、もしそなたが観察しながら、〈わたしがなしたいと思っているこの身による行為は、自己を害することになる、他者をも害することになる、両者ともに害することになる、この身の行為は不善のもの、苦を生むもの、苦の果のあるものである〉と知るならば、ラーフラよ、そなたはそのような身による行為を、けっしてなすべきではありません。」
「身による行為」を「語による行為」、「意による行為」に入れ替えて同じ教えが繰り返されます。
さて、頭の切れる読者は、こう感じたのではないでしょうか。
「執着に対しては、断とうと努力しても断てない、と言ったのに、戒になると、苦をつくらぬように努力せよ、と言う。戒が、はい分かりました、と守れるものなら、執着だって断てるだろう。一貫性がない。都合がよすぎる。戒によって苦をつくらなくできるなら、それでもう目的達成であり、その他の教えは無用ではないか」と。
もっともな疑問です。しかし、こういうことをいうと真面目な仏教者から叱られるかもしれませんが、わたしは、戒は、完璧にそれらを守ること、まったく苦をつくらないことを目指し、命じるものではない、と考えています。
先ほどのラーフラへの言葉でも、上に引用した部分の後でこんなふうに教えています。
〈行為の後においてもよく観察して、自己を害した、他者をも害した、両者ともに害した、この行為は不善のもの、苦を生むもの、苦の果のあるものである、と知るならば、師や仲間に告白して、再び同様の失敗をしないようにしなさい。〉
戒を完璧に守れないことは当然の前提であり、破ってしまった時は反省して、苦をつくることがだんだんと減っていくように自分に癖をつけていきなさい、という教えが戒です。
そして、戒を守ろうと努力し、苦をつくらないようにしようと努力することによって、気づかないところで準備されることが他にもあります。
それは、凡夫の自覚です。
戒を守ろうと努力する。しかし、ついつい破ってしまう。戒を守ろうとしても、いともたやすく繰り返し戒を破ってしまう自分はいかにも情けなく、自分が凡夫であることを痛感せざるを得ません。
仏とは、無常、無我、縁起を知って、我執も執着も鎮まり、苦をつくらなくなった人でした。同じように、無常、無我、縁起であるのだけれど、そのことを知らず、そのつどそのつど縁に応じて執着のままに自動的な反応として苦をつくり続けるのが凡夫です。苦をつくらなくなろうと願うなら、「自分は繰り返し自動的に苦をつくってしまう凡夫である」という自覚をしっかりと持つことが、まずもって非常に大切です。
戒を守れない経験は、凡夫の自覚を強めてくれますし、このことが、さらに修行が進んだ段階になって「自分が自分をコントロールできないこと」、「私は自分をきちんと制御する立派な存在ではないこと」、「自分は縁によって自動的に起こされる反応であること」を自覚する契機になります。
凡夫は執着の反応であり、けんかをしたり、策略を巡らしたり、淫らな妄想にふけったり、さまざまなよからぬことを次々としでかします。わたしという反応は、いつも嵐の海のように激しく波打ち逆巻いています。
そんな凡夫であっても、完全に戒を守れなくても、その努力を続けることによって、自分という反応はだんだんと平静なものになっていきます。それまでは、損だ得だと走り回り、騒ぎ立て、はしゃぎ、落ち込み、泣き叫んでいた人も、次第に落ち着いてきます。また、そうならないと、次の段階である、定や慧に取り組むことはできません。戒は、次のステップへの準備として自分という反応を整えることでもあります。
また、戒を守ろうとすれば、自分がどういう反応になっているか、悪い反応になっていないか、いつも気をつけていなければなりません。これは、自己観察の癖をつけるということです。戒は、三学の後の二つのステップである定と慧の予習にもなります。
【脱線③ 他力思想】
凡夫の自覚ということから、浄土思想を思い起こした読者もおられるでしょう。確かに、他力思想は、凡夫の自覚の徹底であり、「わたしは、自分からはなにひとつよいことはできないのだから、阿弥陀様に救ってもらうより他にない」という考えです。
歎異抄に、こんな言葉があります。
「さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし」
親鸞が弟子の唯円にむかって、「極楽往生したければ、人を千人殺しなさい」と命じます。驚いた唯円は、「千人どころか一人だってわたしには殺せません」と答えます。それに対して親鸞は、「そうだろう。悪いことをしようとしてもできない。逆にまた、良いことをしようとしてもできない。悪いふるまいも良いふるまいも、自分の考え(自力)によって行われるのではない。業と縁が組み合わさって作用した結果によって、人はどんなふるまいだってしてしまうのだ。」と教えます。
業という言葉の本来の意味は「行為」ですが、拡大して、「行為がその結果としてもたらすもの」も含むようになりました。わたしなりに分かりやすく言うと、この文脈では「その人がこれまでに積み重ねてきたさまざまな行為、経験によって形作られたその人らしい反応パターン」ということになります。縁については、なんども書きました。そのときそのときに出会うさまざまな刺激や事物です。
つまり、親鸞の言葉をわたしの言い方で言い換えると「その人の過去の行為、経験によって形成された反応パターンに、さまざまな刺激が縁となり接することで、その人のそのつどの反応が起こる」ということになります。親鸞の言葉は、凡夫が無常であり無我であり縁起の反応であることを、端的に言い表していると思います。
この問答の背景には、「本願誇り」の問題があります。本願誇りとは、「弥陀は悪人を救うのだから、どんどん悪事をして悪人になった方が救われる」という考えです。しかし、この考えは、自分の力で悪をなすことによって、弥陀の救いを引き出そうとしているのですから、自力の考えです。それに対して、親鸞は、「業と縁の組み合わせによって、どういう振る舞いをするかは決まる。良いことをしよう、悪いことをしよう、と考えても、人は思い通りにふるまうことはできない」と教えます。
ところで、他力にまかせる立場の頂点として、妙好人(みょうこうにん)と言われる人たちがいます。妙好人は、江戸から明治にかけての頃の、百姓や職人といった、学問も受けていない貧しい庶民でありながら、他力の教えがすっかり身についた人たちです。日常のふとした折に漏らした言葉やふるまいが伝えられており、そのひょうひょうとしてなにもかも手放しにしたまかせっぷりには、感嘆せずにはおられません。わたしには絶対に手の届かない他力信仰の頂点だと感じます。(『妙好人』鈴木大拙著 法蔵館など参照下さい。)
ただ、そういう妙好人は、すべてを弥陀のはからいとして受け入れるので、戦争でさえも容認してしまいます。苦をつくる動き、特に戦争のような甚大な苦を生み出す動きには、しっかりと反対をしていかねばなりません。妙好人というあり方には、この点については問題があります。
ところで、釈尊が臨終に残した言葉は、
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」でした。(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元訳 岩波文庫)
八正道にも、正精進があります。やはり、釈尊は、怠らず精進することを弟子たちに求めていました。今が末法の世だと規定すれば、阿弥陀様にすがるしか道はないのかもしれません。しかし、釈尊に学ぼうとするなら、やはり精進、努力は必要なのです。
さてしかし、勘の鋭い読者は、こんな疑問を抱かれたことでしょう。
「もし我々が、無常であり無我であり業縁の組み合わせの結果の反応にすぎないのなら、他力に頼るか、運にまかせる他ないではないか。無常、無我、縁起で、なぜ精進、努力ができるのだ。」
これについては、後で考えます。業がその際のキイ・ワードになります。
【脱線④ 菩薩の自覚の危険】
浄土思想が凡夫の自覚の徹底から生まれるのに対して、それと好対照であるのが、法華経における菩薩の概念です。
菩薩というのは、大乗仏教が凡夫と仏との間に想定したカテゴリーで、いくつかニュアンスの異なる意味があります。
ひとつは、凡夫ではあるのだけど、衆生済度の発心を起こし、仏を目指して修行している凡夫。
もうひとつは、仏になる以前の釈尊。
三つ目は、十分な修行を積み、仏になれる段階に既に到達しているが、衆生救済のため敢えて仏にならず俗世に留まっているもの。観音菩薩など、信仰対象となっている多くの菩薩がいます。
大乗仏教は、自分ひとりの救済にとどまらず、衆生すべてを救うべく頑張る、というのが旗印です。衆生すべてを運べる大きな乗り物であるというのが、大乗という名の意味するところです。従って、大乗仏教においては、上に並べたうちの三番目の菩薩が特に重要になってきます。
大乗経典のなかでも法華経は、不思議な魅力に満ちています。
「法華経に触れられるのはめったに得られぬ縁である。しっかりと修行を積んだ者しか法華経には出会えない。今、汝が法華経を読んでいることは、汝が過去生において激しい修行を積み終えた菩薩である証だ。汝は、菩薩としての自覚を持ち、自分を省みず衆生のために働かねばならない。」と説きます。少し引用しましょう。
「もしも善男子、善女人であって、法華経のたとえ一句でも受持し、読誦し、解説し、書写して、種々さまざまに教典に、花や、香や、首飾りや、・・・衣服や、伎楽という[十種を]供養し、合掌し、恭敬するならば、・・・このひとはこれ偉大なボサツであって、最高の完全なさとりを成就しているけれども、生あるものたちをあわれんでいるところから、とくに願って、ここ人間の世界に生まれて、広く妙法華経を演説し、分別するのである。」第十章 法師品(『法華経現代語訳』三枝充悳 レグルス文庫)
「この教典を聞くことができるものは、すなわちよくボサツの道を修行しているのである。・・・法華経を、もしくは見たり、もしくは聞いたり、聞き終わって信じて理解し、受持するならば、まさに知るべきである。このひとは最高の完全なさとりに近づくことができたのである、」(同上)
法華経を読んだ少なからざる人はその気になり、「わたしも菩薩なのだ。自分を犠牲にして頑張らねばならない」と考えます。第十五章「従地涌出品」では、無量千万億の菩薩が大地から涌きだし、彼らは仏が入滅した後の娑婆世界で法華経を広く説く、と紹介されますが、法華経を読んで、自分も地涌の菩薩のひとりだと捉える人は少なくありません。
衆生のために骨身を惜しまず働こうという決意は立派です。しかし、現実にはやはり苦をつくってしまう凡夫なのですから、頑張れば頑張るほど苦をつくることになります。昭和初期、農村の困窮に怒り、テロに走った血盟団などはその典型です。柳条湖事件の張本人であり、満州に「五族協和の王道楽土」、満州国を築こうとした石原完爾も熱心な法華経信者でした。
(但し、法華経信者の中には、新興仏教青年同盟を率いて恐れることなく軍部に対峙した妹尾義郎のような人もいたことは、知っておかねばなりません。『仏陀を背負いて街頭へ-妹尾義郎と新興仏教青年同盟-』 稲垣真美著 岩波新書)
「自分は菩薩である」などと舞い上がることなく、「自分は苦をつくってしまってばかりの凡夫である」という自覚をしっかりと持ち、苦をつくっていないか、いつも自分に気をつけている癖をつけていくことが大切です。
【脱線⑤ プロパガンダと民主主義】
我々凡夫が縁によって自動的に起こされる反応であることを巧妙に利用して、我々を操ろうとするのが、広告やプロパガンダです。広告は、大して必要でないものを買わせるくらいのことかもしれませんが、プロパガンダは、甚大な苦を大量に生み出しかねず、大変危険です。
例えば、湾岸戦争の際、油まみれの水鳥の写真は、自然破壊をためらわないサダム・フセインの悪行とされましたが、関係のない別の海難事故の写真でした。イラク兵たちが、保育器を奪うために中の赤ちゃんたちを冷たい床に置き捨てて死なせたという、女の子ナイラの涙ながらの迫真の証言もまったくの嘘でした。しかし、世界の世論を湾岸戦争容認へと大きく導いたのです。
ベトナム戦争でアメリカが北爆を始めるきっかけになったトンキン湾事件(アメリカ軍艦が北ベトナムに魚雷攻撃を受けたとされた)も、アメリカによる自作自演でした。日本の満州侵攻の口実にされた柳条湖事件も、石原完爾ら関東軍(旅順を司令部とした日本陸軍)によるでっちあげでした。
この際、集団的自衛権にも触れておくと、攻撃されているアメリカ軍を助けるといいますが、今書いたとおり、戦争の多くはやられたふりで始まるものです。どちらが仕掛けたのか、簡単には分からない。また、アメリカ軍を助けるといっても、状況把握の情報量は圧倒的にアメリカ軍が上で、しかも作戦立案は米軍がするのだから、自衛隊は結局実質的にアメリカ軍の指揮命令下で戦わされることになります。集団的自衛権は、自衛隊の若者をアメリカ軍に「どうぞ自由にお使い下さい」と差し出すことに他なりません。そもそも、軍事力にものを言わそうという発想が間違いです。夥しい苦をつくることなのですから。
さて、プロパガンダには正当な主張を装うものもあります。「亜細亜の同胞を欧米列強の植民地支配から解放する」という聞こえのいいスローガンが叫ばれましたが、実際に行ったことを見れば欧米列強に取って代ってアジアを支配しようとしただけであることは明白です。しかし、当時の青年の多くが、ナイーブにそれを信じていました。(例えば、『地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相』新潮新書の著者、飯田進さん)
これらのプロパガンダは、人々の義憤を巧妙に操りました。あるいは、義憤ではなく心配を煽って、人々をコントロールしようとするものもあります。「○×国はなにをするか分からない。」「△◇教徒は危険だ。」といった言説が流され、不安に陥った国民は、それへの対処を理由にされて、通常なら拒絶するような政策を受け入れてしまいます。プロパガンダは、人々の自動的反応に上手に火をつけます。
行政の隅にいる立場から見ると、国民の購買力が落ちてものの売れない昨今、人々の心配を煽り、それへの対応に税金を使わせて儲けるというビジネス・モデルが目についてしかたありません。
プロパガンダにはめられないためには、先に述べたように、それによって引き起こされる反応が苦を増やすことにならないか、慎重に吟味することが必要です。そのためにはたくさんの情報を得て、ものごとを多面的に捉えなければなりません。しかし、ひとりでできることには限界があります。他の人と意見を交換し、お互いに検討しあう他ありません。
プロパガンダは、人々を同じ方向に動かそうとします。みんなが同じ方向に走りだして勢いがつくと、止まることも方向を変えることもできなくなる。これは、ムカデ競走に似ています。前の人の背中だけを見て、足並みを揃えることだけに集中し、どこへ向かっているのかも分からない。崖であろうと突き進む。少し前の日本です。
そうならないためには、足並みを乱す人、他の人と違う意見の存在が大切です。少数意見は、内容以前に、他の人たちと異なるという一点のみで、既に重要なのです。
以前、国旗に一礼しない村長として話題になったことがあります。みんなに同じ態度を強要する空気があるうちは一礼しない、と説明しまた。いろいろな反響がありましたが、その中にこんな電話がありました。わたしの「少数意見であれ、議論し批判しあい学び合うのが民主主義」という見解に対して、
「選挙で多数を取った政治のプロが、上意下達で統治するのが民主主義である。地方自治体の長の任務は、国による統治に従って、住民を統治することである。村長たるもの、国の統治に従い、国旗に礼を表して住民に範を垂れ、住民にも礼をさせよ。」
これには驚きました。国や地域をどのようにしていくか、ではなく、ともかく選挙で勝つことが重要だと考えています。この考えでは、選挙に勝つためには何をしてもいい、ということになりかねません。実際、選挙公約を実現するつもりなどさらさらなく、それがまったくの嘘であったとしても、ほとんど問題にされないのが日本の現実です。政策の議論はなおざりで、政局ばかりが話題になるのも、これが日本の政治の実態だからかも知れません。
「政治のプロ」とて凡夫であり、執着のまま間違いをしてばかりいるのですから、そんな者に任せてしまうのは危険です。凡夫ばかりで構成されている社会が、なるべく苦をつくらないようにするためには、まずもって「凡夫の自覚」が広く共有されることが必要です。お互いに凡夫同士という自覚をもって、意見を聞き合い、議論し、批判し合う。それによって異なる意見同士が学び合い、考えを深め合うことができます。遠く隔たった考えでも、両方が深まっていけば、だんだんと近づいて行きます。それは、互いに近づくだけでなく、深まっていくことであり、正しいところに近づいている筈です。
進化生物学者にR.ドーキンスという人がいて、ミーム(meme)というおもしろい着眼を提示しています。情報や思想は遺伝子と同じような振る舞いをする、というのです。
ミーム(情報や思想)は、相矛盾するミームと争って生存競争をしつつ、人々の中に増え広がろうとします。その競争に負けたミームは、三葉虫のように滅びていきます。また逆に、人から人へと広がる内に、議論や批判によって鍛えられ、新しい着想が加えられ、進化発展していくものもあります。
恐竜に踏みつぶされないように逃げ惑う小さなネズミのような最初の哺乳類から、進化の末にホモ・サピエンスが生まれたように、見向きもされなかった風変わりな少数意見が、議論によって深められ、やがて世界の常識へと進化、発展することもあります。「すべての人は、等しく人権をもつ」という考えも、かつては愚かな少数意見でした。少数意見こそが、鍛えられ、進化ならぬ深化をしつつ支持を拡げ、苦の少ない社会を築いていくのです。多数意見は大抵は古い意見であり、そればかりが支配する社会は良くなりません。
ところで、我々は凡夫ですから、自分の考えを自分だけで完全なものに仕上げようとしても、時間がかかるばかりで、不可能です。間違った考えである可能性もあります。不完全であっても、ともかく発信すれば、誰かが触発されて、深化させてくれるかもしれません。そうやってみんなで考えを深めていく。批判されるかも知れませんが、批判を恐れてはいけません。批判は最高の教師です。間違いに気がつけば改めればいいし、指摘された問題点を克服できれば、深化です。思いつきでも何でもともかくどんどん発言し、批判に晒し、批判から学んで考えを深めるのです。
ただし、わたし自身の経験からいうと、ミームがミームで批判されることは、残念ながら多くはありません。考え方そのものではなく、「村長という立場をわきまえよ」とか「意見表明の場がふさわしくない」といった、周辺の事情をあげつらい、発言を控えさせようと圧力をかけるケースがほとんどです。これでは、単なる言論の抑圧です。おそらく、ミームで正面から反論する自信がないのでしょう。自由に意見を表明し、批判しあい、議論しあい、学びあうことの正反対ですから、これに対してはそれを指弾して、圧力をはねのけねばなりません。ミームにはミームで、正々堂々と勝負を挑むべきです。力を持った連中が自分たちに不都合な意見を封殺する社会は、干物のように窮屈に堅く縮こまり、活力を失います。
凡夫であるわたしたちが、なるべく苦を生まないように社会を運営していくには、凡夫の自覚をみんなで共有し、少数意見も含めて尊重しあい、批判しあい、議論しあい、考えを深めあうしかありません。苦をつくることが少ない社会を創り上げていくには、言論の自由と民主主義が必要なのです。
(ついでに触れると、わたしは、ベーシック・インカムというアイデアは、今は最初期のほ乳類のように小さくて頼りなげですが、鍛え上げられて進化(深化)すれば、社会を大きく変革する可能性を秘めた、画期的なアイデアではないかと期待しています。)
【閑話休題】
長々と脱線してしまいました。本論の流れを思い出してもらうため、簡単に振り返っておきます。
釈尊の教えの全体構成は、四諦、すなわち苦・集・滅・道で示される。執着の喜びはかりそめのもので、大きな苦の一部分である(苦)。苦の原因は、執着であり、なかでも我執がその根本原因である(集)。我執を鎮めれば、苦の生産も止まる(滅)。我執を鎮めるにはしかるべき手順、段取りがある(道)。そして、道は、八正道や三学で示されるが、この小論では、三学(戒、定、慧)で説明することにして、戒の説明まで終えました。
戒は、自分という反応が苦をつくっていないか、いつも自分に気をつけていようとする努力であり、それによって、自分という反応はだんだんと落ち着き、観察可能な状態に近づいていきます。また、自分に気をつけている努力は、次の段階のより高度な修行、定や慧のための下準備にもなります。
二、 定
定は、自分という反応を鎮めることです。戒の段階では副次的な効果であったことを、正面から目指します。自分という反応を静かに落ち着かせることで、ようやく自分という反応が、つぶさに観察できる状態になります。精緻な観察のためには、観察の対象である自分も、観察する側の自分も、両方が静謐な状態にあることが必要です。
基本はやはり座禅です。
中国の禅籍『坐禅儀』には、座り方の具体的なアドバイスが書かれています。(『禅の語録〈16〉信心銘・証道歌・十牛図・坐禅儀』筑摩書房など参照)
試行錯誤した結果のわたしの工夫を付け加えて説明します。
まず、なるべく静かで快適な場所を選び、座布団を敷いて座をしつらえます。もう一枚の座布団を二つ折りにするなどして尻を少し高く持ち上げ、結跏または半跏に足を組みます。両膝が座布団につくように尻の下の厚みを調節し、両膝と尻の三点でバランス良く座ります。上体を前後、そして左右に揺らして、振幅を小さくしていき、中央で止めます。頭のてっぺんがまっすぐ上に引っ張られる感覚で上体を高く上に引き上げ、次に段々に力を抜いて、背骨を下から順にひとつずつ下の背骨の真ん中に乗せていくようにします。うまくこれができれば、力むことなくすっと背筋の伸びた姿で楽に座っていることができます。背中が丸くならないように気にする余り、力んで胸を張ったり背中を反らせたりしていると、定には入れません。
目については、学生時代に通った臨済宗の有名寺院では、「絶対につむってはいけない。一、二メートル先に見るでもなく視線を落としなさい(半眼)」と指導されました。『坐禅儀』も、目を閉じて座るのを「黒山鬼窟」と呼んで戒めています。一方、四十歳代半ばで何度か参加した南伝仏教上座部系の瞑想会では、「どちらでもいいが、つむった方が集中しやすい」と言われました。
初学の人がすべきことは、臨済禅では、できるだけ息を細く長く深くして、十ずつ何度も繰り返し数え続ける(数息観)ように教えられました。一方、上座部系瞑想会では、呼吸する腹の膨らみ、縮み、あるいは鼻の穴を出入りする空気の流れを、できる限り詳細に感じ取るように、との指導です。臨済禅とは異なり、特に深い息や長い息を心がける必要はなく、自然に息をしてそれをありのまま感じ続けるのです。
両方をかじった経験からすると、上座部系のやり方の方が、自分が無常にして無我なる縁起の自動的反応であることを実直に観察するという点で、目的へのアプローチがストレートだし、効果が高いと感じました。例えば、経行(きんひん:座禅の間に堂内や庭などをしばらく歩くこと)は、日本の禅でも上座部でも行いますが、禅寺では、血行を回復し足のしびれをとるため、と聞きました。一方の上座部では、「歩く瞑想」として極めてゆっくりと歩きますが、それは筋肉や関節の動きをひとつ残らず感じ取ろうとする愚直な自己観察の修行です。
実は、定には、止(サマタ)と観(ヴィパッサナー)の二種類があります。止は、自分という反応をできる限りミニマムにすることです。あれこれいろんなことを考えていたのでは、定にはなりません。反応を鎮めて、自分をしんとした静謐な状態にすることが止です。
【脱線⑥ わたしは妄想だけでできている。】
座禅中にあれこれ考えることを、妄想といいます。仕事のことやいろいろな用事、あるいは、ふと些細なことが思い浮かんで、それが種となって連想の蔓が伸びていき、後から思い出すこともできない無内容なイメージが延々とつながり出ていることもあります。我に返ってそれに気づくと、「妄想だ、いかんいかん」と気持ちを改め、数息観やお腹の膨らみ、縮みの観察に戻るのですが、ある時、気づきました。
瞑想中だから、妄想だと思う。だが、これが妄想であるとすれば、普段の日常のあれこれの算段も、すべて妄想ではないか。わたしとは、妄想ばかりでできているのではないか、と。
妄想ではない「私」があるとすれば、それはアートマンに他なりません。「わたしは妄想ばかりでできている」というのは、無我ということのわたしなりの気づきでした。
座禅の経験のある方は、誰でも同意されると思いますが、数息観、あるいは自己観察に集中しようとどれほど堅く決意しても、いつの間にか妄想が始まっています。このことは、「わたし」は、しっかりと自分を管理する「我」など持たない、縁によって起こされる反応であることの、なによりの証拠です。
【閑話休題】
定には、止(サマタ)と観(ヴィパッサナー)の二種類があると書き、止の説明をしました。もう片方の観は、自分を観察することです。顕微鏡で調べるように、細部に肉薄して子細にクローズアップで、かつリアルタイムで自分という反応の起こっている様を観察し続けることです。さきほど触れた、息をする腹の動きや、鼻の穴を通る息の流れや、歩くときの関節や筋肉の感覚などが、初学の段階の観察対象になります。
止ができていなければ、観は不可能です。観がなくて止だけでは、意味がありません。止と観は、車の両輪に例えられてきました。
ところが、禅宗では、止に偏重しているのではないか、あるいは、観がなおざりにされているのではないか、と感じます。止だけを徹底していけば、まったく動かず、なにも考えないことが一番よい、ということになってしまいます。意識の志向対象をなくして、意識そのものをなくそうとする。無念無想です。
禅宗の無念無想については、サムイェーの宗論という歴史上の事件がチベットでありました。チベットに仏教が伝えられたのは意外にも日本よりずいぶん遅い八世紀の後半で、中国からの禅宗とインド大乗仏教の中観派とがほぼ同時に入りました。ところが、同じ仏教を標榜するのに教えの内容があまりにも異なるので混乱が生まれました。そこで、サムイェーというお寺において王様の前で議論して決着をつけることになり、無念無想を主張した中国禅は負けて放逐され、以後、チベットではインド中観派が正統になったという事件です。(『チベット仏教哲学』松本史朗著 大蔵出版)
中国で生まれた禅宗には、先に触れた老荘思想の影響か、梵我一如化の傾向を感じます。
仏性(ぶっしょう)という考えは、「一切有情悉有仏性」という表現で示されるように「仏となるべき本性」であり、「わたしの中にある肯定すべき本来の私」、すなわちアートマンとほとんど同意ですが、大乗仏教では広く見られ、禅宗も例外ではありません。
もっと分かりやすい事例を挙げると、唐の時代の有名な禅僧、臨済義玄は、『臨済録』に「赤肉団(心臓)の上に一無位の真人がいる」「随処に主となれば、立処皆な真なり」という言葉を残しています。一無為の真人とは、アートマンそのものですし、「随処に主となる」というのも、第一原因たる主体であろうとすることでしょうし、自由不羈のアートマンであろうとすることだと思います。釈尊の無常、無我、縁起の考えとは相容れません。(詳細は、『禅思想の批判的研究』松本史朗著 大蔵出版を参照)
先に苦行について考えた際、肉体の束縛を弱めてアートマンを解放しようとするのが苦行の背景にある考え方、と書きました。無念無想にもアートマンを解放しようとする発想が根底にあると思います。分析的に考えることは、妄想分別と呼ばれて禁止され、「本来の自己」を一挙に体得しようとします(頓悟)。「あれこれとさかしらな作為をすることがアートマンを縛っている。あれこれつまらぬ作為をすべて止めて、なにも考えなければ、内奥にある真の私の無分別知が自由無碍に働き出す」という発想で、これもまたアートマンの存在を前提とした発想のひとつの展開事例だと思います。
それに対して、釈尊の教えに顕著な傾向は、ものごとを細かく分析し、いくつにも分別することです。四諦、八正道、三学には既に言及しましたが、ほかにも五蘊など、数字がつく用語はいくつもあり、分析して考える姿勢が明確です。
最晩年の釈尊は、悪魔から「もう死ぬべき時だ」と誘われた時にこのように答えます。
「わが修行僧であるわが弟子たちが、・・・みずから知ったことおよび師からおしえられたことをたもって解説し、説明し、知らしめ、確立し、開明し、分析し、闡明し、異論が起こったときには、道理によってそれをよく説き伏せて、教えを反駁し得ないものとして説くようにならないならば、その間は、わたしは亡くなりはしないであろう。」(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元訳 岩波文庫)
この言葉も、無念無想の無分別知とは正反対の、言葉によって分析し合理的論理的に説明し伝えるという姿勢をはっきりと示しています。禅宗の不立文字の伝統とは正反対です。
ところで、無念無想は、短時間であれば実践できます。学生時代のある時、老師の元へ参禅(与えられた公案に自分なりの答えを述べにいくこと。いわゆる禅問答)に行くため、順番を待っていました。老師が前の人に「もう帰れ」という鈴を振ると、次の人は廊下で鐘を叩いてから、老師の部屋に向かうのです。その時は、日曜日の居士むけ座禅会で、取材が入っていました。廊下で鐘の横に座って鈴の音を待つわたしの真正面でカメラを構えられ、最初は落ち着かなかったけれど、数息観を始めました。すると、突然シャッターが落ちる大きな音がして、わたしは現実に引き戻されました。気がつかないうちに時間が経っていたのです。前の人の参禅がまだ終わっていないので長くても数分のことだったでしょう。後でもらった写真には、我ながらほれぼれする姿で座っている自分がありました。ほんの短い間に、正面にカメラを据えられながらも無念無想になれた自分に驚きました。
しかし、無念無想の間のことは、なにも憶えていません。自分が無常であり無我であり縁起の反応であることを納得するためには、無念無想は、全身麻酔と同様になんの効果ももたらしません。
タイのブッダダーサ比丘(Buddhadasa Bhikkhu、タイ語ではプッタタートとも)は、『Handbook for Mankind』という冊子で定についてこんなことを言っています。(英文からの曽我による訳)
「言葉を替えれば、それ(正しい定のあり方)は、働くのに適したものであり、(知るべきものを)まさに知らんとするものである。これが目指すべき定の程度であって、気づき(念)のない、石のように固まって座る深い定ではない。このような深い定で座るなら、なにものをも詳しく観察することはできない。これは(念のない)不注意の状態であり、慧の役には立たない。(それどころか)深い定は、慧の修行に対する主要な障害のひとつである。内省の修行のためには、まずもっと浅い定のレベルにもどらねばならない。そうすれば心が得た力を使うことができる。高度に開発された定も、(完成の境地や目的ではなく)(慧の修行のための)道具に過ぎない。」
「深い定によってもたらされる幸福感や安らぎあるいは無分別を、完全な苦の滅尽であるとする間違った理解は、釈尊の時代にも多くみられたし、現代においても依然として喧伝されている。」
ブッダダーサは、〈無念無想では観はできない。観の修行がうまくいくレベルの止を目指すべきだ〉と言っているのです。
禅宗に対して、上座部では、逆に観(ヴィパッサナー)の方に重点を置いており、上座部は、自分たちの瞑想をヴィパッサナー瞑想と呼んでいます。先ほど書いたとおり、その時その時の自分という反応を、クローズアップ、リアルタイムで子細に観察し続けるのです。
ヴィパッサナー瞑想会で、行住坐臥すべてをできるかぎりゆっくりと行いながら、常に自分を観察し続けるという修行の中で、おもしろい発見をしました。歩く瞑想で「では、これから歩き始めます」と考え片足を上げようとした際に、もう既に自動的に身体が反応していて、反対の足にすっかり体重がかけられていたのです。また、引き戸の前まで来て「では戸に手をかけます」と思った時、気がつけば垂らした両手の片方が既に百八十度捻られていて、指をかける準備ができていました。「立派な私(アートマン)がいて、それがなにもかも段取りをつけ指示しているのではない。わたしの意識を待たずに、自動的に身体の反応は展開しているのだ」と生々しく意識した瞬間でした。
ヴィパッサナー瞑想は、自分に起こっている微細な動き、変化を愚直にストレートに観察しようとします。その中で、無常、無我、縁起が自分のこととして納得されることを期す、ということだと思います。一週間、十日間の合宿にこれまで数度参加しただけですが、新たな発見があり、興味深い経験ができました。
ヴィパッサナー瞑想は、細かなところまで体系づけられた指導法があり、指導するグループによって内容は微妙に異なるようです。釈尊が行っていたそのままの瞑想法だと主張されますが、ブッダダーサ比丘は、先に紹介した文章に続いて、「ヴィパッサナー瞑想は、釈尊の時代のものではなく、後の世になって開発されたもので、これがもたらす定は使いこなせないほど過剰であることが多い」と注意していることにも触れておきます。
ともあれ、止と観の両方がバランスよくあることが大切です。
凡夫の日常は、煮えたぎる鍋のように激しく沸き立ち逆巻いて、とてもじっくりと観察できるものではありません。止の訓練によって自分という反応を落ち着いた静謐な状態にして、ようやく観察対象にできます。しかし、観察もできない無念無想の瞑想は、釈尊の教えを自分において確認する役には立ちません。
はっきりと観察対象を立て、腹の上下や息の出入り、歩くときの関節の動きといった自分自身の変化を、どこか一カ所に集中してリアルタイム、クローズアップで感じ続ける。それによって、自分という反応は鎮まり、ますます観察の深度は深まっていきます。
また、定の練習を重ねていくと、自分の反応を観察する癖がついてきます。そうすると、戒も、立ち上がりの頻度が上がっていきます。
三、 慧
さあ、いよいよ釈尊の教えの本丸に入ります。
無常、無我、縁起の三つに分けて説明します。わたしは、無常、無我、縁起は、我々のあり方をそれぞれ別の視点から分析しており、本当は同じひとつのことを教えてくれていると考えています。
ⅰ) 無我
最初に、無我から始めます。なんども申し上げたとおり、無我は、釈尊の教えの核心です。しかし、わたしたちの普通の考え方、ものの見方からは理解しがたい教えです。そのため様々な誤解が生まれています。
まず、仏教用語と言うより、日常の言葉としては、無我の境地というように、創作活動や武道などで高度に集中した状態をいう場合があります。確かにそういう状況になることはあり、その場合、ああしてこうしてと段取りを考えて行っているのではなく、対象に没頭して、いわば主客未分で自動的にことは行われます。それに対して、通常は、段取りを考えたり、あれこれと雑念が沸いており、それはいってみれば「有我」の状態と捉えているのでしょう。勿論これは、釈尊の教えの無我ではありません。
もうひとつの、すこし仏教的に聞こえる誤解は、「我々凡夫は、執着の塊、欲の塊、我の塊である。執着をなくし、欲をなくし、修行して無我にならなくてはいけない。」というもの。つまり、我とは我欲のことで、凡夫は我欲の塊だから有我である、それが無我になれたら仏、という考えです。分かりやすいかもしれませんが、これも釈尊のいう無我ではありません。
釈尊の教えでは、凡夫も仏も、まったく同様にもともと無我です。両者の違いは、仏は、自分が無我だと知っているのに対して、凡夫は無我であるのに、無我であることを知らず、自分があると思いなし、自分大事、自分かわいいと欲に走り、我執に走る。その結果、凡夫は苦をつくっている。これが釈尊の発見です。
無我は、サンスクリットではアナートマン(パーリ語ではアナッタン)といい、アートマン(同、アッタン)の前に否定の接頭辞がついた言葉です。アートマンは、前にも触れたとおり、当時のインド正統のバラモン教が想定した「真我」です。つまり、無我は、バラモン思想のアートマンの否定です。
アートマンは、単一常住でわたしの一切を主宰する存在である、と考えられました。バラモン教は、アートマンが、ブラフマン、すなわち、すべての概念を超越した宇宙原理とひとつであることを認識することによって、アートマンを、ブラフマン同様すべてを超越した、束縛されない本来の状態にすることができる、と考えました。これがバラモン教の目指すところであった訳です。
家を捨てる前の釈尊がバラモン教をどれほど学んでいたかは分かりません。しかし、学問としてではなくとも、時代の常識として広く受け入れられていたバラモン教の考え方を、少なくとも自然に共有していたことは間違いないと思います。
ところが、釈尊は、修行を突き詰めていった結果、そのようなアートマンはなかったのだ、と気づいたのです。これは、バラモン思想のアートマンの否定だけに留まりません。わたしたち凡夫が、それがあると普通に思いなして日常生活を営んでいるところの、「私」も本当はないということを発見しました。「私がいる」というのは、思い込み、妄想だったのです。
「大切な私がいる」という妄想が、我執を生み、執着を生み、苦を生んでいるのです。
いくつか教典の言葉を挙げましょう。
自身を実在とみなす見解と疑いと外面的な戒律・誓いという三つのことがらが少しでも存在するならば、かれが知見を成就するとともに、それらは捨てられてしまう。(『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳 岩波文庫)
生存を構成する要素のうちに堅固な実体を見出さず、(同上)
自己によって自己を観じて(それを)認めることなく、(同上)
人々は自我観念にたより、また他人という観念にとらわれている。・・・ところがこれを、人々が執着しこだわっている矢であるとあらかじめ見た人は、「われが為す」という観念に害されることもないし、「他人が為す」という観念に害されることもない(ウダーナヴァルガ『ブッダの真理のことば、感興のことば』同上)
「おれがいるのだ」という慢心をおさえよ。(同上)
〈自身ありという見解〉を捨て去るために、修行僧は気をつけながら遍歴すべきである。(サンユッタ・ニカーヤ『ブッダ神々との対話』同上)
読者の中には、デカルトの「我思う、故に我あり」を思い起こされた人もいることでしょう。
「デカルトの第一原理を否定するのか!」と。
デカルトは、方法的懐疑といって、すべての前提や思い込みを徹底して疑い、その検証に堪えた確実なものだけに基づいて考えるべきだ、との立場に立ちました。そして、なにをどれだけ疑っても、そうやって疑っている自分の存在だけは疑うことができない、と考えました。これが「我思う、故に我あり」です。これを第一原理とし、これに基づいて神の存在やさまざまなことを証明していきます。
しかし、「我思う、故に我あり」にも、実は既に思い込みが潜り込んでいたのです。つまり、「行為がなされるなら、その行為を行う主体が先立って存在しなければならない」という思い込みです。これは、誰もがそう思う極めて自然な物事のとらえ方です。毎日の生活でも便利に機能し、役立ってくれます。
我々は言葉で考えますが、言葉も、我々の思い込みを引き継ぎ、主語があって、述語がある、という構造を持っています。まず主語となるなにかがあって、それがなにかをする、どうにかなる、という基本的な捉え方が根本にあります。
しかし、本当はそうではありません。述語部分、つまり「どうこうする」「どうこうなる」という現象が起こっているだけであって、そこに我々人間の側で主語となる主体を後付けで乗せて考えているのです。
主語があって述語がある、という言葉の構造は、すべての言語に共通します。言葉は、一回的な現象をそのまま言い表すものではなく、カテゴリーを操る仕組みです。
後でまた説明しますが、言葉が操るカテゴリーは、言葉以前に準備されています。現象に接すると、わたしたちの中でそれが属するカテゴリーがすぐさま立ち上がり、現象はほったらかしにされ、わたしたちは、現象ではなくカテゴリーに反応します。カテゴリーは無時間的であり、私の中にあらかじめ準備されているので、実体視され、「もの」としてあらかじめ存在した、と捉えてしまいます。つまり、現象を見ると、そこに主語となる主体の存在を構想してしまうのは、人類共通の、それだけ根深い思い込みなのです。根深く、また便利に役立ってくれるので、簡単に抜け出すことはできません。
わたしという反応も、一回的現象の断続なのですが、それらがカテゴリーで捉えられ、「私が存在する」と思い込んでしまうのです。
デカルトの第一原理を釈尊の発見にのっとって言い換えれば、《「我思う」際には、「思う」という反応がわたしの身体という場所で起こっている》、というのが釈尊の発見です。「わたしは眠い」は「眠いという反応が、この身体という場所で起こっている」。「わたしは眠いけれど懸命に起きている」であれば、「この身体において、眠くて眠くてしようがないけど懸命に起きているという努力の反応が起きている」ということになります。
言葉は、主語となる主体があらかじめ存在する、という仮設を基に構築されているので、本当はそうではないことに拘ると、今の言い方のような大変不自然なもの言いになってしまいます。「私」の存在を仮設すれば、言葉も含めて日々の活動になにかと便利に機能してくれます。しかし、それは一方で、執着と苦の原因にもなっているのです。
「無我」は、常識に反する見方なので、おいそれとは同意できないと思います。もう少し説明を工夫してみましょう。
例えば、「風が吹く」とわたしたちは言います。でも、本当は、空気が動いたのであって、あらかじめ「風」という主語となるなにかが存在したわけではありません。「火が燃える」も同じです。木や紙が熱で分解され、炭素や水素になって酸素と結びつく現象であって、あらかじめ「火」が存在して、それが燃えるわけではありません。
静かなところで燃えるろうそくの炎は、揺らぐこともなく、そこにじっと存在するかのように見えます。しかし勿論、炎は存在するのではありません。ろうそくの炎は、気化したろうが酸化されて熱や光が発散される場所です。酸化反応が起こり熱や光といった現象が発言しているだけで、そこにとどまって存在するものはなにもありません。反応した後の二酸化炭素や水蒸気は、まわりの空気に拡散していきます。泉も同様です。岩の割れ目から水が湧き出してくる場所を我々が泉と呼ぶのであって、泉というなにかが独自に自立して存在するのではありません。もしそうなら、泉を持って運べることになります。
わたしたちも同様です。わたしたちの身体(仏教用語では、色身)は、さまざまなものが通り抜けていく場所であり、その際にそこでさまざまな反応が起こります。体温の熱も反応のひとつだし、呼吸もそうです。人間は、ろうそくの炎よりもきわめて複雑な反応なので、多種多様な反応がわたしたちの色身で起こります。デカルトが考えたように考える反応もあれば、眠くなる反応、眠気をこらえる反応、その他、空腹、怒り、悲しみ、喜び、同情、嫉妬、労働、学習、スポーツ、、、数え切れない様々な反応となります。それらそのつどばらばらの反応に、後付けで「私」というラベルを貼り、主語として設定して、「私」があると思いなして、それに執着して苦をつくっているのです。
そして、「私」があると思いなすのも、それに執着するのも、苦をつくるのも、やっぱり反応なのです。
これらの反応は、その時その時、種々雑多で、「この身体という場所で起こっている」ということ以外には、一貫性や連続性はありません。それが、無常ということです。
また、これらの反応は、そのつどの外部からの刺激(縁)によって単純に定まった機械的反応が起こるのではなく、そのときそのときの身体の状況(内部の縁)と、外部からの縁との組み合わせによって大きく変ります。(例えば、濃厚な料理の匂いは、空腹時なら食欲をつのらせるが、食べ過ぎ飲み過ぎの時には気分を悪くさせる。陰口も、嫌いな人が言っていたと聞けばむらむらと怒るけれど、好きな人の陰口なら悲しくなる。)
さらに、親鸞の言葉にあったように、人が異なれば、これまでの様々な反応の蓄積によって形成されてきたその人らしい反応パターン(業)も異なるので、反応も違ってきます。
これが、縁起ということです。
わたしがなにかをするのは、主体となる「私」があらかじめ存在していて、それがああしようこうしようと決めて、行為するのではありません。このことは、認知科学や脳科学の知見でもあります。いうなれば、人間を研究するそれらの科学は、遅ればせながらようやく二千五百年を経て、釈尊の発見に追いついてきたのだと思います。
一方で、仏教が古色蒼然たる言葉の体系になってしまい、廃墟の寺院のごとく、今の我々には生き生きと感じられないものになっているとするなら、人間を対象とする科学を方便として利用することによって、釈尊の教えを新鮮で共感できるものとしてもう一度提示できるのではないか、と思います。
そういう目論見で、まず盲点の実験をしてみましょう。この実験は、立派な「私」が先にいて、あれこれ采配しているのではない、ということを考える糸口になるでしょう。『脳の中の幽霊』(V.S.ラマチャンドラン、サンドラ・ブレイクスリー著 山下篤子訳 角川書店)で教えてもらった実験です。
シャツのボタンのような小さな目印を二つ用意して、紙でも布でもテーブルでも、模様のない背景に、左右に十センチほど離して置いて下さい。片方の目を閉じて、右目でなら左の目印を、左目なら右の目印を見ながら、近づいたり離れたり、距離を調節すると、もう一つの目印が盲点で見えなくなり、消えてしまいます。
但し、消えるといっても、暗い虚無に飲み込まれるのでしょうか。あるいは、無色透明になるのでしょうか。ご自身で確かめて下さい。どうでしょう。そうです。周囲と同じ色調で塗りつぶされるのです。わたしの娘はこれを「まわりが被さってくる」と表現しました。紙や布やテーブルなど、背景を様々にかえて同じ実験をすれば、その背景の色、質感で塗りつぶされます。
次に、消える方の目印の上下に、目印のところ一、二センチほど空けて、太いマジックインキで縦にくっきりと線を引きます。黒でも赤でも青でも、背景から際立った色ならなんでもかまいません。様々な背景で実験するなら、色紙を一センチ程の幅で切った二本のテープを置くのも便利です。そして、さっきと同じ実験をするとどうなるでしょう。
今度は、単に消えるのではなく、盲点のところで途切れていたはずの線が、つながって見えます。つまり、盲点で見えない部分が、この線はおそらく一本のつながった線であろうと、勝手に情報が補われてしまうのです。
目印を置いたのも、そこで途切れた線を引いたのも、わたしです。そこがどうなっているか、わたしは一番よく知っている。それなのに、「誰か」が勝手に補正し、変更した情報をわたしに見せる。わたしが、「こら、差し出がましい真似はよせ。その線が途切れていることは、わたしが一番よく知っているんだぞ」といくら力んでも、見せられる線はつながっています。わたしは、頂点に立って、すべてを把握し、すべてを指示する主宰者などではなく、わたしを構成する様々な末端の反応が自動的連鎖的に反応を繰り返し、整合性があるように下ごしらえしてくれた情報を与えられて、最後にただ口に入れられてばくりと飲み込む、バカ殿様のような反応なのです。
もう一つ、この方面の脳科学の成果として著名なのは、ベンジャミン・リベットの研究です。脳外科手術を受ける患者さんの協力を得て、さまざまな実験を行いました。
ひとつは、痛いとか熱いとかの刺激の知覚は、脳の感覚野への刺激伝達が0.5秒以上続いてようやく起こる、ということが明らかになりました。このことから分かるのは、脳で捉えられた感覚は遅すぎて、それを待っていたのでは、緊急事態や、武道や球技などの試合、楽器演奏その他で反応が間に合わない、ということです。脳に感覚が生じ、それを受けて反応の指令が出されているのでは、たいていの場合遅すぎます。熱いものにふれた時、「アツッ」と感じるより先に、手は飛びすさっています。刺激(縁)は、脳で感覚され反応指令が出されることを待たずに、自動的に反応を引き起こすのです。武道やスポーツの繰り返しの練習は、意識を介さずに的確な反応が即刻自動的に起動するように、反射的な神経回路をつくることでしょう。そういう自動的、反射的な反応が、迅速に滞りなく発動するように、武道などでは無心とか「考えるな」といった教えが強調されるのでしょう。
ベンジャミン・リベットのもうひとつの発見は、さらに興味深いものです。
人が、なにかの行為をしようとする際、その意志が意識されるのは行為が起こる150から200ミリ秒前ですが、さらにそれよりも400ミリ秒先だって、神経回路に準備電位が現れる、という発見です。つまり、自覚的な決断「よし、やるぞ」は、行為を始める発端ではなく、すでに400ミリ秒以上前にどこかで立ち上がった起動プロセスが引き起こす結果のひとつだ、ということです。我々の意識の上では、時間的なつじつま合わせが行われるために、自覚的決断、決心によって行為をスタートすると感じています。ところが実際は、「よし、やろう」という「私の」決断は、起動スイッチなのではなく、様々な末端の反応が刺激を受け自動的連鎖的に反応を繰り返した結果のひとつです。主語となる「私」は、やはり後付けなのです。(『マインド・タイム 脳と意識の時間』下條信輔訳 岩波書店)
もうひとつ、おもしろい研究成果を紹介しましょう。
アントニオ・ダマシオという脳神経学者が、身体の比較的単純な仕組みという土台から、私という意識の生成に至るプロセスを分析しています。
脳のさまざまな部分が病気や事故で損傷すると、どういう機能に障害が生じるのか、どの機能に問題があると他のどの機能に影響するのか、どの機能がどの機能を前提とし依存しているか、など、最新の診断技術も用いた豊富な事例を基に、精神の高度な機能がどのように実現するに至るか、鋭い推察を展開しています。非常に込み入った緻密な分析なので、全体的な理解はご自身で読んで頂くしかありません。わたしの目論見に沿い、わたしが触発されたことも含んだ、わたしの解釈として紹介します。(『無意識の脳 自己意識の脳』田中三彦訳 講談社)
意識が生成するプロセスの一番の基礎としてダマシオが考えるのは、身体の状況のモニターです。血圧、心拍数、体温、血糖値、アドレナリンなどホルモンの血中濃度、疲労物質の蓄積具合、それぞれの筋肉の収縮度、身体の傾きやバランスなど、その時その時の身体の状況が、さまざまに刻一刻モニターされています。
モニターといっても、なにか観察する意識が想定されているのではなく、ホメオスタシス維持などのため、体内環境の自動調整機能に身体の状態がインプットされる働きです。このようにモニターされた身体の状況を、ダマシオは「原自己」と呼んでいます。
原自己は、突然に大きく変化することがあります。その変化をもたらすのは、例えば、食べ物の匂い、天敵の気配、異性のフェロモンなど、その有機体に重大な意味を持つものの兆候です。それぞれ異なった仕方で、身体を興奮状態にして原自己を変化させます。原自己の変化は、情動と呼ばれます。
(ここで有機体という表現を用いたのは、まだ、「わたし」とか意識とかが発生していない段階であるためです。)
情動は、その有機体にとって重大ななにか(食べ物、天敵、異性など)が引き起こすものであり、情動を引き起こしたものがいまどうであるかを感知することは、有機体にとって死活問題です。対象として環境から際立ったものとして切り出され、そこに注意が集中されるようになります。原自己に変化をもたらした対象に注意を向ける働きを、ダマシオは中核意識と呼んでいます。
一言言っておかねばならないことは。中核意識は主体的に対象を選び、みずからそれに注目するのではなく、対象が中核意識を立ち上げる、ということです。中核意識も、縁(対象)によって起こされる反応なのです。
中核意識は、原自己に変化がもたらされている間だけ、それをもたらしている対象に引きつけられる意識であって、今ここの意識です。一貫した持続的意識ではありません。中核意識を呼び起こした対象がなくなり、情動が鎮まれば、霧消します。
あるいは、新たにもっと重大な情動を引き起こす対象が出現すれば(例えば、獲物を狙っているときに、自分を狙っている天敵の気配が感じられれば)、中核意識の対象は、すぐそちらに切り替わります。
このように、中核意識は、生じては消える反応であり、ダマシオは「意識パルス」とも読んでいます。
対象は、単に中核意識の注意を引きつけるだけではありません。中核意識が対象に注意する時、常に情動が高まっています。中核意識の背景には、いつも興奮した情動があるのです。中核意識という最も原初的段階の意識が、バックグラウンドに必ず興奮した身体状況を持つということが、意識にこの身体という場所における意識という特徴を与え、わたしの意識、自己意識という性格を与えることになります。
また、実際に中核意識が対象に注意を集中している状況を想像すれば、有機体と自分の身体との位置関係が非常に重要であることは容易に理解できます。天敵は、どの方角から狙っているのか。その距離はどれくらいか。獲物まではどれくらい離れているのか。もう少し近くまで忍び寄るべきなのか。一気に襲いかかって仕留められる距離なのか。中核意識は、その対象に注意を集中しながらも、対象と自分との位置関係、すなわち、注意のベクトルの先だけでなくベクトルの出所も、意識の背景として潜在的に含んでおり、そのことがわたしという意識が生まれる土台になります。
あるいは、もっと直截に、病気や怪我、痒みなどの不快感(これも情動)などによって、身体そのものが中核意識の対象になることもしばしばあるに違いありません。
このようにして、身体という場所を土台にして、自分という感覚が、いまここの中核意識の中に生まれます。
ここに記憶の仕組みが付け加わると、記憶の中から浮上してくるものも、中核意識を起動するようになります。中核意識の対象になった記憶は、さらに関連した記憶を浮上させ、それらも次々に中核意識の注目を呼び込みます。(座禅中の妄想は、おそらくこの典型的な事例です。)
記憶として浮き上がるひとつひとつのエピソードの中には、自分が織り込まれています。進化の過程で、記憶に加えてワーキングメモリの働きも加わると、次々に浮上するエピソードがワーキングメモリのテーブルに並べられ、中核意識がそれに関心を引きつけられるようにもなります。こうして、いまここでしかなかった中核意識が、時間的空間的広がりをもった内容を対象にして立ち上がるようになります。
記憶とワーキングメモリの機能によって、時間的空間的ひろがりのある内容を対象とする中核意識を、ダマシオは延長意識と呼んでいます。延長意識によって、時間的空間的ひろがりの中に連なりを持って展開すると捉えられる自分のイメージが生まれ、自伝的自己と呼ばれます。
ただし、ここで注意せねばならないことは、延長意識は、その対象が時間的空間的ひろがり持っただけで、実質は中核意識のままだということです。つまり、いまここにおいて、ひろがりに注目する反応なのです。
自伝的自己も、いまここにおいてそのつど紡ぎ出される自己の物語です。一回一回の自伝的自己は、物語として筋が通り整合性がありますが、別の時に別の状況で中核自己が紡ぎ出す自伝的自己は、別の性格と別のストーリーを持っています。いつも同じ自伝的自己がイメージされるわけではないし、ましてや、ひとつの自伝的自己が一貫して存在し続けるわけでもありません。一回一回の自伝的自己はそれぞれ異なるけれど、一回一回においては、一貫性のある自己イメージなので、「いつも変わらぬ私がいる」と捉えてしまいます。こうして、主語として采配を振る主体の「私」の存在が妄想されるに至ります。
どうでしょうか。釈尊の教えの核心、「わたしとは無常にして無我なる縁起の反応である」と同様のことを、ダマシオは言っているのではないでしょうか。
まず、身体の状態が根底のベースとなっていること。自立自存でものごとを統御する主体的存在は、どこにもいないこと(無我)。身体の状態に影響を与える事象が縁となって、中核意識をという反応を引き起こすこと(縁起)。中核意識は、縁によって起こされては消えるパルス的現象であること(無常)。
かなり恣意的な読みをして恣意的な解説をしましたが、大きくは間違っていないと思います。ご自身でも、お確かめ下さい。
脳科学や認知科学は、二千五百年遅れて釈尊の発見にようやくたどり着きつつあります。それらの新しい科学の成果は、釈尊の教えを現在に伝えようとするとき、説明の方便に使えると思っています。
さて、ダマシオを読んで、もうひとつ思い出したことがあります。五蘊に関する以前からの思いつきです。
五蘊は、人間の機能を五つに分析して説いていますが、わたしは、単に五つの機能を羅列しているだけではなく、その順番の縁起も含意しているのではないか、と考えています。ダマシオの考えと、縁起説として捉えた五蘊とを突き合わせて検討してみます。
五蘊というのは、 <この部分、未完>
佳境に入ってきました。ダマシオの論を補完する意味で、わたしの考えてきたことも書いておきます。
諸法無我、諸行無常と言われます。あらゆる存在は、本質である実体を持たず、すべての現象は移り変わり留まることはない。では、それなのに、なぜ、わたしたちは、なにもかもをそれとして変ることなく存在しつつける存在として捉えてしまうのでしょうか。
勿論、我々も、すべてが時間の中で朽ちていく、壊れていくことは知っています。しかし、そういったよく考えた結果の判断ではなく、生の受け止めとしては、ここにあるものは少なくとも当面は変わることなく存在し続ける筈と受け止めています。だからこそ、なにかがが壊れ失われるという事実に直面してうろたえる。なぜ現象を存在として受け止めてしまうのでしょうか。
デカルトの「我思う、故に我あり」に触れた際に、少し考えた問題です。もう少し掘り下げてみましょう。
ダマシオは、主に患者さんや人間を対象とした研究成果を材料にして考えていますが、動物の進化の過程を手がかりにすることもできます。「個体発生は系統発生を繰り返す」(ヘッケルの反復説)と言いますが、動物が系統進化のプロセスにおいてどのようにして、現象を存在として対象化するに至ったかを想像してみましょう。この試みは、人間がどのようにして自分を主体的存在として捉えるようになるのか、について考えるヒントも提供してくれるでしょう。我執の対象である「我」の分析にもつながる筈です。
実は、わたしは、条件反射の仕組みが、一回的な現象を恒常的存在として捉えさせる上で、大きな役割を果たしていると考えています。
条件反射!? 釈尊の教えについての議論だと思っていたのに、なんでそんな話を読まされるのか、と感じておられるかもしれません。条件反射は、そのつどの反応である「わたし」を恒常的に存在する「私」であるかのように捉えてしまうプロセスを考える際の重大なヒントになるのです。
餌の匂いや異性の発するフェロモンなどは、それにふさわしい反応をするように動物のスイッチを押します。その仕組みは、どういう刺激(縁)にどういう反応が起こされるか、動物の種によってあらかじめ決まっており、いうなればDNAに書き込まれている反応です。
動物の進化とは、突き詰めれば、環境や状況への適応能力を向上させていくことだと考えますが、それまでは、進化によって種レベルで適応能力を向上させてきたものが、条件反射によって経験から学習することが可能になり、個体ごとに異なる適応ができるようになりました。
条件反射がどのように状況への適応を向上させるかというと、餌が得られるとか、天敵に狙われるとか、なにか重要な事態が発生することを事前に別の現象をシグナルとして察知して、スポーツの言葉を使えば、いわばフライングで反応がスタートするのです。敢えてダマシオの言い方にこだわれば、情動を引き起こす対象に先駆けて現われる別の対象が、元の対象と同じ情動をいち早く立ち上げるようになる、ということです。
池のコイを例に考えましょう。池のほとりで手を叩くと、池中のコイが一斉に激しい情動を見せながら押し寄せてきます。口をバクバクと大きく動かし、餌を得ようとする迫力は尋常ではありません。しかし、餌は、まだ投げられていないのです。手を叩く音を聞いた後、餌が投げられ、うまい餌を食べた経験を何度か繰り返すことで、手を叩く音だけで、摂餌行動のスイッチが入ります。条件反射は、きたるべき事態に先走って対応することを可能にし、生存競争に有利に作用しました。
では、シンバルを打ち合わせればどうでしょう。慌てて身を隠すかもしれません。逃げるか、集まるか、音によってコイたちの反応はまったく異なります。
ところで、手を叩く音は、一回一回様々です、小さな子どもの手もあれば、大人の手もあり、冬に手袋をしたまま打つ人もいるでしょう。打ち方も人によって違います。それでもコイは、餌を得ようと集まります。しかし、コイは、過去に聞いたひとつひとつの音を記憶して、それと照合して反応しているのではありません。さまざまな音が聞こえる中、それまでの経験によって餌を予告する音のカテゴリーが形成され、そのカテゴリーが刺激されたとき、摂餌行動のスイッチが入るのです。
カテゴリーの中の一回一回の音の違い、例えば、子どもの手か、手袋をした手か、などを聞き分けることは、反応をすばやく立ち上げる上では、邪魔でしかありません。さまざまな音を聞き、身を隠したり、餌をもらいに集まったり、じっとしていたり、いろいろな反応をして、それが間違っていた場合には、そのたびにカテゴリーの輪郭線の凹凸が拡げられたり、縮められたりして、カテゴリーはより精緻に修正されます。一回一回の事象の個別的な違いはどうでもよくて、カテゴリーの中か外かだけが重要なのです。
条件反射が成立するまでは、化学物質が嗅覚を刺激するとか、一回一回の個別の事象が直接縁となって動物に反応を起こしていました。条件反射が動物進化史上革命的である点は、利害に関わる事象を事前に察知することを可能にしたこともひとつですが、一回一回の個別性のままではなく、カテゴリーで事象を捉えることができるようになったことも、それ以降の進化に大変大きな発展を生み出しました。
カテゴリーで捉えると言えば、思いつくのは、言葉です。言葉(名詞)は、カテゴリーに貼り付けた印でありますから、言葉のカテゴリーは、条件反射の仕組みに由来すると思います。
言いかたを変えると、言葉(名詞)は、カテゴリーの輪郭線です。カテゴリーの外側を排除するだけであって、カテゴリーの内部についてなにか説明するわけではありません。カテゴリーの内側のひとつひとつの事象の違いには、関与しません。
もうひとつ、カテゴリーについて重要な点は、その無時間性です。ひとつひとつの事象は、現れては消える時間の中の現象ですが、それがカテゴリーで捉えられると、時間性を喪失します。対象として捉えられたカテゴリーは、その無時間性の故に、いつも変らぬ「もの」として実体視され、一貫性を備えた存在として妄想されます。
では、赤ちゃんにとってのおかあさんを考えてみましょう。
生まれて間もない赤ちゃんにとって、おかあさんは、現れたり消えたりする現象です。現れるたびに服や表情や機嫌も異なるでしょう。つまり、そのつどの一回的現象です。しかし、そういったそのつどの個別性を捨象して、条件反射によって「おかあさん」というこの上なく好ましいカテゴリーが形成されます。そして、そこに「ママ」とか「おかあさん」とかの名前がつけられ、おかあさんは、いつも変わらぬ優しいおかあさんとして存在し続ける常住の実在として捉えられるようになります。
今度は、あかちゃんにとっての「わたし」を考えてみます。生まれてしばらくの間は、わたし、自分という意識は、あかちゃんにはないと思います。ただ単に、心地よい、とか、眠い、不快、空腹といった感覚があるだけでしょう。前に述べたことを思い出してもらえれば、述語はあるが、主語がない段階です(勿論、言語化以前の状況です)。しかし、そういった感覚にも、この身において起こっているという共通点はある。ダマシオの言い方なら、情動です。この身において起こっている現象として、それらそのつどの感覚がやがてひとつのカテゴリーにくくられます。おそらく、ちょうどその頃、おかあさんをはじめとするまわりの人たちから「・・・ちゃ~ん」と呼びかけられる経験も始まり、その経験が繰り返されると、「・・・ちゃん」というラベルの貼られたカテゴリーの形成をさらに後押しするでしょう。こうして「・・・ちゃん」という時間性のない、恒常的実在が存在しているかのように、あたりまえに受けとめられるようになります。
こういう道筋をたどって、自分を現象ではなく実体として捉えるようになると、いよいよ「私」が我執という執着の依り代になります。我執の対象の「私」にとって有利と思われるものにはプラスの、不利と思われるものにはマイナスの執着が働くようになります。有利なものは奪い、不利なものは絶やそうとし、凡夫は苦をつくるようになるのです。
ただし、念のために再度言いますが、我執の依り代「私」は、後から構想(妄想)されたカテゴリーにすぎません。実際は、述語である反応が現象しているだけなのです。我執は、執着できない架空の対象である「私」への執着であり、不可能なことへの努力ですから、苦をつくります。このことを納得するためには徹底的な自己観察による確認が必要です。それが自分のこととして腹に落ちて納得できれば、それまでの自分の愚かさが痛感され、執着は鎮静化し、苦をつくることがなくなります。そこまで到達できれば、仏の誕生です。
ここでもうひとつ、学者の興味深い報告を取り上げさせて下さい。
ジル・ボルト・テイラーという神経解剖学者が脳卒中を経験した時のことを本にしています。
左脳の機能が脳卒中で停止し、左脳の支配から逃れた右脳は、それまでとはまったく違う安らぎに満ちた至福の世界を見せてくれます。テイラー自身、これをニルヴァーナと呼んでいます。一命を取り留め、リハビリに励みますが、左脳が機能を回復するにつれ、左脳が右脳のもたらす安らぎを阻害し、ネガティブな作用をしていることに気づきます。左脳にそれをさせないように「言い聞かせる」方法を、彼女は編み出しますが、それは戒の教えそのままです。また、読者への宿題にしている、無常、無我、縁起の反応であるのに、なぜ精進、努力ができるのか、という問題への答えにもつながります。執着を生み出していた「実体視された我」を、うまく逆手にとって利用する方法も見えてきます。
<この先、未完>
