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湯澤議員の冥福を祈ります。

  • itrsoga
  • 2016年10月3日
  • 読了時間: 2分

 中川村議会の湯澤賢一議員が亡くなられた。

 私が会社を辞めて、中川村に移住して間もなく、自分のやりたいこと(釈尊の勉強)だけをやろうと引きこもっていた時、湯澤さんが訪ねてこられた。

 「市町村合併の話が進められているが、合併せずに自立で頑張ろうという取り組みをしている。手伝ってくれないか」という話だった。

 村の事情に疎く、合併の話があることさえ初耳の私だったが、ビラ配りくらいなら、とお受けした。活動には中川村のユニークな人たちが大勢参加していて、その方たちと私との縁を結んで下さったのも湯沢さんということになる。

 こうして多くの人たちが結集し、 合併か自立かを決める住民投票を実現することができたのは、 湯澤さんがみんなに火をつけてくれたお陰であるし、結果的に中川村が合併せず、中川村のままで存続しているのも、湯澤さんの功績だ。合併せねばならない理由とされた財政問題でも、自立の中川村は逆に大幅に健全化を進めることができたし、今、大方の村民は、合併しないでよかったと考えているだろう。

 合併問題ばかりではない。東京電力福島第一原発による放射能災害が起こった時も、湯澤さんはすばやく反応した。「日本で最も美しい村」連合の仲間である飯舘村の議長さんに連絡を取り、中川村で一番盛り上がる「どんちゃん祭り」に飯舘村の皆さんに来てもらう道筋をつくったのも湯澤さんだ。

 また昨年12月議会では、重要な請願陳情の採択にも大きな貢献をした。TPP合意撤回と調印・批准を行わないこと、安全保障関連二法のすみやかな廃止、日米地位協定の抜本的見直し、辺野古新基地白紙化、その他である。TPP合意撤回は、全議員賛成だったが、その他は賛否が割れた。特に、辺野古新基地白紙化は、5対4での採択だった。既に治療が始まり体調不良であったにもかかわらず、湯澤議員が出席してくれなかったなら、辺野古新基地白紙化は採択されていなかったかもしれない。この話を聞いて、辺野古問題に取り組む沖縄の人たちは、大変感謝していた。

 村の将来や国の将来を大いに心配しながら旅立たれたことと思う。後に残された我々が、しっかりと取り組んでいく他はない。


 
 
 

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